「病の皇帝「がん」に挑む ーー人類4000年の苦闘」 シッダールタ・ムカジー 著

がん。それは重苦しい空気とともに語られる不吉な病名。しかし、その病と闘うためにしなければならないのは、無視をすることでも、忘却の彼方に追いやることでもない。私たちの生存戦略は先達の挑戦と無念を学ぶことから始まるのだ。

多くの人が、身近な人をこの病で奪われた経験が持つのではないだろうか。
子供の頃、初めてこの言葉を聞いた時に、それを口にする人々のあまりの不穏さについつい小声になってしまう自分がいた。
言葉が、空気が、不吉を呼ぶのではないか。
なんだかそう思えて、話題にすることすら憚られた。
その病気の名は「がん」。
本書の「病の皇帝」という二つ名は、がんという病に侵される人の数を、その手強さを考えると、まさに相応しい命名だと言えるだろう。
なにしろ、人類はこの病と4000年もの間闘い続け、そしてまだ完全に勝利することができていないのだから。


著者はアメリカの腫瘍内科医でがん研究者。
彼は本書を「がんの伝記」と呼ぶ。
ある患者が言った「私はこの病気のことを知らなければならない」という言葉への長い回答として本書を綴ったのだという。
著者の筆は、時にはミステリーのように、時には歴史書のように、そして時にはサスペンスのように、がんとの闘いと小さな勝利、そして苦い敗北を描き、全編冴え渡っている。
それでいて語りは平易な言葉で、医学の知識のない私でも一気に読めてしまえる。


がんが人類の歴史で一番最初に記録されたのは、紀元前2625年前後に活躍したエジプト人医師イムホテプのパピルス写本だ。
そして古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが、乳房のしこりに苦しむペルシアの王妃アトッサのことを記録したのが紀元前440年頃。
その後がんは、ある時は根治的に取り除かれるべき邪魔者と看做され、可能な限り(!)人体から切除され、そしてある時は化学療法こそが有効な対処方法とされ、一種の「毒」である数々の薬剤が、がんを死滅させるために使われた。
どの治療も患者を限界まで疲弊させながら。


そして、現代。
先日、あるハリウッドの有名女優が「将来の乳がん発症のリスクに備えて」乳房を切除した。
彼女の美しさもあいまって、日本でも連日報道されたが、これは決して馬鹿げた選択ではない。
「がんは私たちの正常細胞内の遺伝子の異常である」という発見が、人類のがんとの闘いを新しいステージに突入させたのだ。


しかし、現実は非常にきびしい。

実際、いくつかの国で、がんになる人の数は四人に一人から、三人に一人へ、そして二人に一人へと容赦なく増加し続けている。やがてがんはほんとうにわれわれにとっての新しい正常にー不可避なものにーなる可能性がある。だとしたら問題は、この不死の病に遭遇したらどうするかではなく、遭遇したときどうするか、となるはずだ。


がんとの闘いにおいて、人類はたくさんの間違いを犯してきた。
無駄な闘いもあり、たくさんの失敗もあった。
だけど、この本に登場するどの医師の闘いも、どの科学者の闘いも、そして誰よりも苦しいものである患者たちの闘いも、すべては「生きたい」「生かしたい」という人間の心の奥底から湧き出る強い希望からなされた。
我々はアトッサの子孫なのだ。
生きるために、奴隷医師に自分の乳房を切り落とさせた王妃アトッサの。
闘う者は、尊い
しかし闘うのためには、私たちはまず闘っている相手を、自分たちの持っている武器を知らなければならない、4000年の先達たちの闘いから学ばなければならないのだ。
本書は、自分が「遭遇したときどうするか」を考えるための、すなわち生存戦略のための格好の参考書なのである。




病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

病の皇帝「がん」に挑む ―  人類4000年の苦闘 下

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 下