「オール・クリア 1」「オール・クリア 2」 コニー・ウィリス 著

祝、完結。「ブラック・アウト」から、「オール・クリア1」、そして今月発売の「オール・クリア2」全巻四百字換算でおよそ七千枚。ラストへ向かっての怒涛の伏線回収は、最後まで読んだ者だけが味わえる快感。


完読してしまった。

昨年夏の「ブラック・アウト」から、今年4月の「オール・クリア1」、そして今月発売の本作「オール・クリア2」、あとがきによると、全巻四百字換算でおよそ七千枚。
「オール・クリア2」を読了して、再度ブラックアウトに戻って読み直し、「ドゥームズデイ・ブック」を読んで再確認、さらにSFマガジン7月号のコニー・ウィリス特集を読んで、あーやっと終わったんだという感慨に浸る…今ココ。
駆け抜けた後の脱力感とさみしさと幸せとをかみしめているところだ。


2060年から1940年へと長い時を隔てて旅をしてきたポリー、メロピー、マイクルの3人。
彼らオックスフォード大学の史学生たちは、それぞれに目的を持って1940年代にタイムトラベルした。
ポリーはロンドン大空襲下における庶民たちの生活を体験するため。
メロピー(アイリーン)は第二次世界大戦中の学童疎開の研究のため。
マイクル(マイク)は戦時における民間人の英雄的行動を観察するため。
この3人が自分たちの時代への脱出口を閉ざされ、必死になって帰還の道を探る、というのが本作のあらすじだ。
これに、「同じ時空間に同じ人は存在できない」という、いわゆる"デッドライン"が加わり、事態は複雑化する…。


「ブラックアウト」「オール・クリア1」までは、とにかく章ごとに各年代、また各人(偽名を使っているので尚更分かりにくい)を行ったり来たりするのが面倒で、何と分かりにくい構成なのかと思ったのだけれど、最後まで読み通してみると、それなりに筋が通っている上、そのことで散りばめられた伏線が生きていることが分かる。
途中で挫折しそうな方もぜひ、頑張って欲しい。
ラストへ向かっての怒涛の伏線回収は、最後まで読んだ者だけが味わえる快感なのだから。


「あれは雲雀」


たびたび登場するシェイクスピアの名セリフの数々は当然のこと、今回は大のアガサ・クリスティーファンのメロピーにとっては嬉しい出会いも。
犬は勘定に入れません」ではドロシー・セイヤーズファンの史学生が登場したけれど、このイギリスミステリ界の両巨頭を絡めるのは、ウィリスの作品がいつもミステリーの要素を含んでいるからかも知れない。
謎解きと、パズルを組み合わせて完成させる面白さ。   
これは名作「航路」においても堪能できるのだが、異なる時代を行き来することによりオックスフォード大学史学部シリーズはより複雑に、よりトリッキーに仕上がっている。



イギリスの最終兵器(笑)恐怖のホドビン姉弟シェイクスピア役者サー・ゴドフリー、セント・ポール大聖堂の聖堂番ハンフリーズ氏…その他魅力的な時代人たち。
彼らとの交流は、つかの間のものであり、奇跡的なふれあいであるからこそ、かけがえなく美しい。(そして笑える)
毎日のように空から降ってくる爆弾と死に行く同胞たちという悲劇に対峙する時代人たちの勇敢さは、人間の勇気というものが、他者への思いやりという源泉から溢れていること、枯渇することはないことを確信させる。
そしてそれは時代人たちであっても、ポリーたち未来人であっても同じことなのだ。


「人は本来は善人の可能性」


そんなニュースをネットで見つけた。


ある図形が別の図形を攻撃していじめている様子をアニメ−ションで描き、生後10か月の赤ちゃん20人に見せ、このあと、赤ちゃんにアニメーションと同じ図形を選ばせたところ、80%に当たる16人がいじめられた側の図形を選んだという。このことから、研究グループは、弱く苦しい立場の側に同情的な態度を示した結果と解釈できるとして「人は本来は善人である可能性を示唆している」と結論づけている。

うん、もちろんこの結論は分かる。
だけど、私はこうも思うのだ。
人は本来、強いものより弱い立場のものに、より心を寄せるほど勇敢なのではないかと。



オール・クリア 1(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

オール・クリア 1(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)



オール・クリア2 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

オール・クリア2 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)