「マジック・フォー・ビギナーズ」 ケリー・リンク 著

不思議で、それでいて普通。優しくて、そして残酷。バカバカしくてそれでいて真面目。矛盾している?でも、世界ってそうじゃないの?



本書のあとがき解説によると、「宇宙は神によって作られたと思うか、ビッグバンで始まったと思うか」というアンケートに対して、ビッグバン理論を信じていたのは、アメリカ人の45%にすぎなかったそうだ。
スウェーデンなどの北欧の国々では90%以上が、そしてカトリック大国のアイルランドですら76%の人々がビッグバン理論を選択していたというのに!)
ケリー・リンクはこのアメリカで、SFでもないファンタジーでもない、奇妙な作品を書く女性作家のフロントランナーとして人気を得ているという。
解説者は彼女のような奇妙な作品を書く作家を受け入れるアメリカ人の感性を、冒頭のアンケートを例に、「ナイーブさ」と表現する。


なるほど、と思いつつ、人がケリー・リンクの作品に魅かれるのはナイーブさだけではないと思う。
実は、私も大きな声では言えないが、ビッグバン宇宙創造説には半信半疑だ。
だって、自分の目で見たことないものなんて、本気で信じられない。
リアルで実感できないものなんて。
そう、ケリー・リンクの作品に見つけたもの、それはリアリストの視点。
ナイーブでリアリストって矛盾している?
でもそれを言うなら、多くの女性ってそうじゃないの?世界ってそうじゃないの?


本書には、何とも摩訶不思議な9つの短編が収録されている。
全作品の中で、気に入ったものを幾つかご紹介すると。


「妖精のバッグ」
妖精のバッグを持ったお祖母ちゃんとその孫娘の話。
チアーズ!」とか、「スターウォーズ」とか、「バフィー」とか、女の子の日常を表すキーワードに囲まれていながら、その中にぽっかりと口を開ける異世界への入り口、妖精のバッグ。
決して入ってはいけないと言われていたのに、いつだって女の子は現実的で、男の子はロマンチスト。
おバカなジェイク。
やがて、バッグの外に出た時に、失ったものの大きさに嘆くがいい。
ヒューゴー、ネビュラ、ローカス賞を受賞。


「ザ・ホルトラク
ゾンビの住む異世界に繋がる聞こ見ゆる深淵。
そのそばにある深夜営業のコンビニで働く男性エリックとバトゥ、そして動物シェルターで働く女性チャーリー。
珍妙な客たちと時々やって来るゾンビたちを相手に商取引を繰り返すバトゥ。
殺される運命の犬たちを、夜な夜なドライブに連れ出すチャーリー。
すべては行き詰まり、閉塞感に包まれている。
さあエリック、そろそろ安全地帯であるコンビニから外に出ていったら?


「大砲」
QアンドA式に描かれる大砲にまつわるあれこれ。
大砲から発射されてどこかに飛んで行くのもいいなあ。
読んでるうちに、大砲がなんともエロティックでロマンティックなものに思えてくる不思議。


「猫の皮」
魔法使いとその愛しい末っ子の物語。
昔話風だけど、もちろんそんな一筋縄な話ではない。
ところで、昔話でもそうだけど、なぜ末っ子ってこんなに愛されるんですかね。



「マジック・フォー・ビギナーズ」
母親の大おばからラスヴェガスもある電話ボックスを相続した少年は、母親とともに旅に出る。
「図書館」という謎のTVシリーズに夢中になりながら過ごす、家族と友人とのかけがえのない魔法のような大切な時間と、子どもの頃の万能感が次第に薄れていく子供と大人の間の中途半端な年頃。
愛し合っているのに互いに離れつつある両親と、かけがえのない、それなのに、なぜかすれ違っていく友人達。
暗い予感の中で、「図書館」の登場人物を救うため、力を尽くす彼がとても健気で愛おしい。
ネビュラ、ローカス、英国SF協会賞を受賞。


ケリー・リンクは、読者がついてくるかどうかはお構いなしに、見たこともないような世界の料理をポンとお皿に乗せて差し出す。
「食べれば?」と言って。
美味しいかどうかは…うん、人を選ぶお料理だ、とだけ言っておこうっと。


マジック・フォー・ビギナーズ (ハヤカワepi文庫)

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