「ガラスの宮殿」 アミタヴ・ゴーシュ 著

この本は、かつて「黄金の国」であったビルマ(現ミャンマー)を舞台に描かれる、壮大な歴史小説であり、稀なるラブストーリーであり、連綿と続く家族の物語であり、そしてその全てである。




ゴールデンウィーク後半用の600ページ超の本を1日で読了。
心揺すぶられる一方で、ストーリーの濃密さにどうジャンル分けしてよいのか分からず、困ってしまう。


そう、まずは、優れた、歴史小説である。
ビルマ(現ミャンマー)最後の王朝であるコンバウン王朝の、最後の王ティーボーの時代。
英国によって、ビルマ1886年英領インドに併合され、王は国外へ追放される。
それからビルマ起こった数々の苦難、そして現在、アウンサンスーチーらの民主化運動の時代まで。
途中、インドの独立運動や日本軍の侵略などを挟みながら、文字通り「激動」の20世紀、他国に踏みにじられた国と国民の側から見た東南アジアの歴史が描かれている。



稀なる、ラブストーリーである。
コンバウン王朝ビルマから消え去る最期のとき、運命的な出会いを果たすインド人孤児のラージクマール(王子という意)とビルマ王妃に仕える侍女のドリー。
平穏な世であれば交差するはずのなかった2人の運命が、傾国の悲劇をきっかけに交差し、いつしか離れ難く結びつく。



連綿と続く、家族の物語である。
自らの運命から逃れることなく、まっすぐに生きていくラージクマールとドリー、この2人の間に生まれた子供たちや孫、ひ孫、そしてラージクマールの師匠である中国人、サヤー(先生)・ジョンとその子供や孫、そしてドリーの親友ウマとその甥や姪。
彼らの運命を追ううちに、作者の「自分の愛するものは自分で選ぶより仕方ない」という言葉が何度も蘇る。
やがて、彼らの子孫が自らのルーツを遡り始めたとき、そこに見つけたのは、先祖たちの100年の愛と勇気の歴史だった。



この本を読んで、自分が「ビルマの竪琴」とアウンサンスーチーさんの個人的なエピソードぐらいしかこの国のことを知らないことに後悔の念を覚えた。
ビルマ」という国名は「黄金」を意味するという。
しかしこの国は、列強や同じアジアの国々の争いに巻き込まれ、疲弊し、最後には自らの手で自らの同朋たちを虐殺し、黄金をその血で赤く汚してしまった。
ちょうど同じ時期にリュック・ベッソン監督の「引き裂かれた愛」を鑑賞したのだが、この本を読むと、アウンサンスーチーさんを民衆の希望の星たらしめているものがなんであるのか、ということも深く理解できる。



ああ、「国が弱い」ということは、これほどまでに不幸であるのだ。
しかし、「国が強い」ということは軍事力があるとか、富が有り余っていることを言うのではない。
国が強いということは、そこに住む民が理不尽なことにNOと言う自由があること、国のために力を尽くしたいと思えるほどに幸せであることが最低条件であると私は思う。
そうでない限り、その国は侮られ、常に他国から踏みにじられ虐げられる運命に甘んじるしかなくなってしまう。
ビルマの民は長らくそれに耐え、自らの血を流して学んでいる、民主主義は勝ち取るものだということを。
果たして私たちは、そのことを真剣に考えることができていたのだろうか。
考えることができていなかったのだとしたら、そのツケはこれから払うことになるのかも知れない。


ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)

ガラスの宮殿 (新潮クレスト・ブックス)