「三文未来の家庭訪問」 庄司 創 著
人が、生物が、生きていく。天国と地獄の狭間で、未来で、遠い過去の深海で。どんな時代のどんな場所でも、生きるための力、未来を見つめる光を感じさせる作品たち。
短編が3編、それに「三文未来の家庭訪問」のおまけマンガ(これ好き。もしかしたら本編よりも好きかも)が巻末に付いている。
「辺獄にて」
作品の舞台は、かなりシステマチックな天国と地獄のはざま「人生完結センター」。
ここは、人間の生前の善行と悪行を点数化、それを単純に加減、合計点で天国に行くか地獄に行くか、そしてどのような天国、地獄に行くのかを選択する場所。
そしてこの仕組みを利用するのは、自らの感覚機能では原始的かつ肉体的な喜びと痛み、苦しみを感知できない宇宙人たち。
彼らは人間たちの感覚に自分を同調させ、絶妙の痛み苦しみを味わい享受する。
そして主人公は現世で犯した罪ゆえに下層の地獄で千年の苦しみを味わうことが決定する。
立場は違えど、主人公には芥川龍之介の「杜子春」を想起させられた。
人にとって、愛する人のための痛みや苦しみは、真の地獄にはなり得ない。
そして逆に、愛する人の痛みや苦しみは、人にとって真の地獄になり得るのだ。
「どうだな。おれの弟子になつた所が、とても仙人にはなれはすまい。」
片目すがめの老人は微笑を含みながら言ひました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかつたことも、反つて嬉しい気がするのです。」
「杜子春」 芥川龍之介
主人公は、痛みも苦しみも犯した罪の償いも、苦悩多きこの世で引き受けることになる。
愛する人と一緒に。
「三文未来の家庭訪問」
科学技術の飛躍、エネルギー問題の劇的な解決を経て、人類が史上空前の豊かさを手に入れ始めた未来。
でも、とっくに普通の家庭、普通の子なんていなくなった未来。
家庭訪問を行う相談員は、担当した子どもが将来納める納税額次第で年金額が上下することから、子どもたちを「貴重な納税者」を育てることに熱心だ。
平和な毎日を生きるふりをしながら、実は決して恵まれた境遇の人ばかりではないし、何かと争いの種が転がっていて、すぐ隣の国とも仲良くすることはできない私たち。
私たちの生きているこの世界も、もうすでに十分三文芝居だ。
詰んでしまった世界をブレイクスルーするきっかけは、環境を変えることではなく、人間という種を変えることではないかという登場人物の提示は、面白い。
種を変える、というのは、かなり抵抗感を感じる方法だと思う。
特に男性が「子どもを産む」という選択が可能な種になるというのは、「男性である」ということに自らの拠り所を見出しているある種の男性にとってはかなりショッキングな変化だろう。
ただ、現在ではトランスジェンダーは徐々に隠し続けるものではなくなりつつあり、各国では同性婚の法制度化の動きが加速している。
この漫画のような未来がおとずれるのも、あり得ないとは断言できない。
そして変化する私たちの最先端を行くのは、未来人である子どもたちだ。
この作品に登場する小学生(見えない!)のリタとマキちゃんたちのなんて新鮮で新しいこと!
そう「新しい」ということ、「変わる」ということは、私たちの希望の芽なのだ。
私たちは変わり続けている。
それが誰かにとって望ましいものであろうとなかろうと。
「パンサラッサ連れ行く」
カンブリア紀、5億年ほど前の古太平洋、滅びゆく宿命を負った種であるカナダスピスとヨホイアが暗い海の底で何を考えていたのか…。
神を信じ、神による救いを信じるヨホイア。
神を信じず、己の力のみを頼りとするカナダスピス。
違う信念を持っていても、それぞれの行く手に待つのは、種としての滅び。
同じ運命が待っている。
しかしそのことを知らない彼らは、神を信じて、または己を信じて、死が訪れるその日まで歩み行くしかない。
生きることの苦しみは、おそらくカンブリア紀であっても、現在であっても同じなのだ。
知力を得た故に「先を知りたい」という欲望と因果に囚われてしまった私たち。
私たちもまた、彼らと同じように、未来への不安を神(あるいは絶対的な存在)に託するか、それとも未来への不安に怯えつつも諦念をもって今を生きるかの選択をすることになる。
「行こう」
「お前は神を恐れ」
「俺は未だ知らぬ物を恐れ」
「皆を引き連れ あの おぼろげな 暗がりを 進もう」
「怖い 怖い…」
SF的な語り口を利用して、作者は人生の根源的な疑問や苦しみの原因、その解決方法に近づこうとしている。
それがまっすぐに伝わる、誠実さを感じさせる作品集だった。
- 作者: 庄司創
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/03/22
- メディア: コミック
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