「閉経記」 伊藤比呂美 著

漢(おんな)の人生にはたくさんの戦さがある。伊藤比呂美さん流の覚悟と矜恃に満ちた「漢(おんな)たちのための軍記」。



女の人生には、思いがけない事件や出来事が次々に起こる。
それぞれの年代に特有のトラブルや悩み、身体の変化…たくさんの「なにこれ?」「どうしたらいいの?」を抱えて途方に暮れる時に、伊藤比呂美さんの「良いおっぱい  悪いおっぱい」「おなか  ほっぺ  おしり」「なにたべた?」「伊藤ふきげん製作所」などの一連の著作は、私にとって、女性であることの煩わしさと面白さ、子育ての楽しさ、女同士の友情の温かさを教えてくれる教科書だった。


そして本書も。
題名の通り、閉経期の身体の変化とコントロールできない無力感(特に脂肪が…)、歳を取った両親との付き合い方そして別れ方、互いに年齢を重ねた夫とのコミュニケーションの取り方、…などなど。
これから待ち受ける様々な人生のトラップをどのように生き抜くのか、伊藤さん流のユーモアと厳しさを兼ね備えた教科書となっている。
この本はもともと「漢(おんな)である」というタイトルだったとのこと。(検索の難解さから改題)
まさに漢(おんな)にとっての軍記のような本だった。



さて、伊藤さんの著書でしばしば触れられるのが、三世代に渡る自身の親子関係だ。
もちろん、お子さんであるカノコ、サラ子、トメの三姉妹も健在、本書ではなんと「カノコの良いおっぱい 悪いおっぱい」編が!
あのカノコちゃんが…と読み続けてきた人にしか分からない、なんだか、嬉しさと切なさの混じったしみじみとした思いがこみ上げるのである。



先日、PM2・5の報道を見ていたら、微小粒子状物質は人間に害を与える一方、作物にとっては「肥料」の役割を果たす、というアナウンスが流れた。
「なるほど、なにごとにも悪いことばかりでなく良いこともあるということだね」
と言ったら、うちの子が
「だからって許されるわけじゃない」
と呟いた。
その言葉が妙に胸を突いた。


本書の中で、伊藤比呂美さんがこんなことを書いている。


「どんな母でも、母である限り毒になり、どんな母でも、母である限り滋養になるということか。」


この言葉を読んだ時に、ふと子どもの呟きを思い出した。
精一杯、滋養であり続けたいと願っていても、悲しいかな、毒になることは否めず、なおかつ毒であることはやはり許し難いことなのだろうか(いえ、多分子どもは深く考えて言ったものではないのだろうが)。



伊藤さんもまた、母親との確執を著作の中で何度も書き続けて来た。
本書では、そのお母様との別れについても言及され、2人の確執に終止符が打たれる場面が描かれる。
不自由な身体になり、すっかりトゲが抜けリラックスした母親から、死ぬ数ヶ月前にポツリと言われたある言葉に、


「母の呪いがとけた。」


と。
いつか、毒であることも許しあえるようなそんな場面が訪れるなら。
歳を取るのも悪くはないのかもしれない。



何度もメールをやり取りして、分かりあっていると思っていた人に、久しぶりに会って話してみると、意外と深いズレがあるのを発見して、不安と孤独を感じたりすることがある。
まったく勝手なものであるが。
だけど、伊藤さんの本は、いつも裏切らない。
どんな毎日を送っていても、漢(おんな)としての覚悟と矜恃を胸に、今日も生きて行こう、そう思う。



閉経記

閉経記