「天平グレート・ジャーニー ーー遣唐使・平群広成の数奇な冒険」 上野誠 著

天平の昔、遣唐使の旅は、いずれも厳しいものであったが、天平5年に出発した遣唐使たちの旅は、ことに苦難多きものだった。そして、この本の主人公にして、この旅に判官として参加した平群広成という人物の人生もまた。





天平5年、多治比広成を遣唐大使とするこの第10回(諸説あり)遣唐使では、総勢600人という乗組員が四隻の船に分乗した。
行路は嵐などの天候不順に悩まされたものの、何とか全員無事に到着。
唐という大国に圧倒され、小国の悲哀を感じつつ、なんとか皇帝にも拝謁し、日本に持ち帰る荷物をまとめ出航したものの、帰路にとんでもない運命が待ち構えていた。
全四隻のうち一隻はなんとか種子島に漂着。
もう一隻は、出発地広州に押し戻され帰国の日が伸び、もう一隻は現在に至るまで行方が分からないという。
そして平群広成の乗船した最後の一隻は、南方に流され崑崙(現在のベトナム)に漂着したのだ。



彼は現地の人々の襲撃やマラリアなどの風土病に悩まされ、次々に仲間を失う。
いったんは捕らえられたものの崑崙商人に助けられ、科挙試験に合格し当時の唐の皇帝に仕えていた阿倍仲麻呂の助力を得て、戦闘中だった新羅を避け渤海から出航。
実に6年という歳月を経て、平城京に辿り着く。
最終的に無事帰国が叶ったのは、乗員115名のうち平群広成を含め4名だった。
この本は、当時の日本において最も広く世界を見聞した人物、平群広成の波乱万丈の旅を描いている。



大勢の犠牲を払い、国中から集めた宝物を捧げてでも、彼ら遣唐使は唐に渡らなければならなかった。
そして唐から最新の仏典を、楽師を、文献を、とにかくなんでも、新しい進んだ文化を日本に持ち帰らなければならなかった。



それほどに、その頃の日本はあまりにも若かった、幼かった。
人々は好奇心と気概に溢れ、何もかもを吸収し、自分たちの血肉にしようとしていた。
「出世したい」「名を挙げたい」、そんな若者の野心さえも、この後発の新しい国においては、エネルギー源だった。
この本で描かれる、阿倍仲麻呂吉備真備らのどこか冷酷とさえ言えるような権勢欲も、日本という国を成長させる上で、なくてはならないものではあったのだ。
天平の世の人々の、自分たちにはない新しいもの、素晴らしいものに対する飢餓感は、今の私にとってはとても眩しいものに映った。



彼の旅から改めて知る我が国と唐、新羅渤海という東アジア諸国との深い交流。
平群広成の苦難の旅から長い時を経て、私たちはかの国々へ行くも帰るも住むことも屈託なくとは言いかねるが、できるようになった。
しかし残念ながら、かの国の人々と私たちの間には、遣唐使の人々を隔てていたよりも深い海が横たわっている。



でも、考えてみたい。
幼い私たちの国に、各制度を、宗教を、技芸を、人材を惜しみなく与えてくれた国。
優秀とは言え、小国の一官吏を皇帝付きの高官にまで取り立ててくれた国。
日本という国が、平群広成の時代よりも大人になり、少しは賢明に成長したのなら、私たちは今度こそ、一方的ではない、与え、与えられる新しい関係を築くことができるのではないか。
それとも、私たちは平群広成の時代からまるで成長をしていないのだろうか。


天平グレート・ジャーニー─遣唐使・平群広成の数奇な冒険

天平グレート・ジャーニー─遣唐使・平群広成の数奇な冒険