「聲の形」1〜7巻 大今良時 著

私たちは社会で生きていくために、他者に何かを働きかけなければならない。一人では生きていけないからこそ、自分が傷つき、他人を傷つけるリスクをも冒してなお、他者に何かを発信しなければならない。


読んでいる間、1巻からずっともやもやしてきたが、最後までこの物語は一筋縄ではいかない展開を見せてくれた。
主人公たちはこちらが予測した言葉を口にすることなどなく、思い通りの行動など取りはしない。
彼らは驚くような意外な言葉と意外な行動で読者の心を翻弄する。
大団円のカタルシスを期待する私の心を裏切って。
それで気づく、あー私はこんなに物語というものに「めでたしめでたし」を期待してるんだなあ…と。


聴覚障がいのある西宮硝子とクラスでは明るいムードメーカーの石田将也。
転校生の硝子がやがてクラスで浮き上がり仲間はずれの対象となる中で、将也はまるでみんなの空気に後押しされるように彼女をいじめ始める。
自分でもコントロールできないままいじめはエスカレートし、彼女は学校を去る。
そして、今度は将也自身がいじめのターゲットになり彼は孤立、硝子をいじめたことへの後悔、昨日まで友だちだった周囲の人間から突然攻撃されたその心の傷を抱えたまま高校生になった将也はある日、硝子と偶然再会し彼女に問いかける。
「友達に…なれるか?」


人間にとって他者とはなにか、分かり合うとはどういうことか。
高校生になった将也たちの周りには同じ高校生の友人たちや先生や親などの大人たちも登場し、それぞれの思いや都合を主張する。
各自の言い分を聞いていると、分かり合うことなんて無理、とつくづく思う。
私たちは別々の器に生まれ、それぞれが別々の経験を経て、全くの別の理念や別の思い込みの中で今の自分を作り上げているのだから。
そして、将也が最後まで誰かと「完全に」分かり合えたという実感のないまま連載は終了してしまった。


だけど、現実は確かにそうなのだ。
親子でも、夫婦でも完全に分かり合える存在なんていない。
けれど私たちは社会で生きていくために、他者に何かを働きかけなければならない。
一人では生きていけないからこそ、自分が傷つき、他人を傷つけるリスクをも冒してなお、他者に何かを発信しなければならない。
そして実は、他者に何を発信するのか、どんなふうに働きかけるのかということを、私たちはもっと真剣に配慮しなければならないのだ。
その覚悟を持って行動する者こそが、他者にとってのよき理解者となり得るのかもしれない。


この作品が、この「覚悟」を将也たちが持てるかどうか、それを描いた作品だったんだとしたら、最終巻が「これからも続く」というメッセージを発しながら終わったことは当然のことだと思う。
他者の中で生きていくということは、終わりのないゲームをプレイするようなものなのだから。
そして時々くたびれたら、傍の誰かに「おつかれさま」と言ってみる、「おつかれさま」と言ってもらう、微笑みあう、そんなささやかな喜びを交わし合うことができるゲームなのだ。


聲の形(1) (講談社コミックス)

聲の形(1) (講談社コミックス)

聲の形(7)<完> (講談社コミックス)

聲の形(7)<完> (講談社コミックス)