「統合失調症がやってきた」 ハウス加賀谷 松本キック [松本ハウス] 著

「芸人という病人は世界を治癒する。」統合失調症を語って泣いたり、笑ったり。これが出来るのは松本ハウス以外にはないかも知れない。


先日、知人から「謝りたいことがある」とメールが届いた。
20年以上前、私にとてもひどいことを言ったこと、そして、ずっと謝りたかったこと、ずっと気になっていたこと。
ところが、私には「ある日」が、「ひどいこと」が、どうしても思い出せない。
むしろ良い思い出しか浮かばず、どう返事をしたら迷っていた。


本書の主人公であるお笑いコンビ「松本ハウス」のハウス加賀谷にとって、人生の景色は本当に暗いものだ。
両親の不仲によって、親を困らせない、泣かせないことを自分に厳しく課していた子供時代。
学校に行けば、クラスメイトたちがみんなでこっそり「あいつ臭うぞ」と呟く(気がする)のを聞く毎日。
幻覚や幻聴に苦しめられ、高校にも通えなくなり、一人グループホームへ。
その中で少しずつ力を取り戻し、病気をコントロールしながらお笑いの世界で生きていくことを志し、せっかくかけがえのない相棒を得たものの、調子に乗りすぎて病気が悪化。
幾度も薬を過剰摂取して自殺を図り、せっかく得た仕事も相棒も失ってしまう。
入院、治療、自宅療養…。


彼の眺めてきた景色は過酷で、読んでいると息苦しくなってくる。
なぜ、こんなに自分を追い詰めてしまうんだろう。
それが持って生まれた性質だ、と言われればそれまでなんだけど。
彼の一方的に語るこの世は、救いのない世界だ。


だけど、そんな加賀谷の世界を、所々に挟まれた相棒である松本キックの独白がそっと開いて行く。
その中で、松本は、自分自身もかつて何度も自殺を考えたことがあったことを綴る。
違和感を感じつつ時にイラつかされた加賀谷の言動、そして納得のいかない一方的なコンビ解消の経緯が、彼の視点から語られる。
そして何よりも、相棒が病気で苦しんでいるのを気づかなかった自分、知らずに追い詰めていた自分、そのことに対する深い後悔。


同じ場所で同じ日々を過ごし、同じ景色を見ていたはずなのに、全く違うことを記憶している。
私と知人がそうだったように、そんなことは、よくあることなのかも知れない。
だけど実は、それは私がその知人に真剣に向き合っていなかったからなのかもしれない、そう思った。


この本を読んで考えたこと。
それは「いろんな人の、多角的な視点で世界を眺められないこと」がこの病の苦しみの原因あるいは症状のひとつなのだということ。
加賀谷の病気が改善するに従い、彼は母親の苦しみや松本キックの心の傷に気づく。
少しずつ、他人の視点で自分自身を眺めることができるようになる。
自分の苦しみだけでなく、周囲の人々の苦しみにも気づき「ごめん」と謝ることができるようになる。
優しさや思いやりに気づき「ありがとう」と感謝できるようになる。
それとともに、まるであかりが灯るように彼の周囲の景色がだんだん明るくなって行くのが読んでいる私にも分かった。
そして2人は、数年のブランクを経てコンビを復活させる。


本当のことを言うと、僕は「負の力」で仕事をしていた。

人を怨む、世間を呪う「負の力」。
これは、簡単に恐ろしいパワーを生み出してしまう。
どうにでもなれというパワーは、人々を圧倒し、魅了することすらある。
だけど、それは必ず自分に跳ね返ってきて、自分を追い込む危険な刃物だ。
だから今のぼくは、「正」の力で物事を考え生きるようにしている。怨まず、呪わず、感謝する。一◯◯パーセントできている自信はないが、心がけるように努めている。


そうやって、この世を眺める複数の視点を得ること、そして人とのつながりを取り戻すことが彼にとっての回復であり、その成果のひとつがこの本なのだ。
だけどそれは、今は病気ではない他の人にだって必要なことではないだろうか。
なんだか、この本を読んで、知人にどんなメールを書いたらいいのか、やっとわかったような気がした。
私も2人に感謝。

統合失調症がやってきた

統合失調症がやってきた