「剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む」 永井義男 著

葉隠武士の武者修行の旅。本書は彼が付けた日記をもとに、当時の諸国や庶民の様子、武者修行の実態を再現した貴重な記録小説だ。

学校でも、仕事でも、人はある時、別の環境で別の技を覚えなければならない時が来る。
結局は、RPGのように地道にコツコツ経験値を貯めるしかないのだけれど、実世界ではそんな環境の変化になかなか適応できない人も多いと思う。
が、一方で、さほどのストレスを感じることなく環境の変化や他人との交流に見事に適応してしまう人もいる。
この本の主人公、牟田文之助はまさしく後者だ。


牟田文之助は佐賀藩藩士の次男坊として生まれ、齢二十三にして、その祖は宮本武蔵にありという二刀流の剣術「鉄人流」の免許皆伝を授けられた優秀な剣士だ。
そして免許皆伝の翌年嘉永6年(1853)9月から安政2年(1855)9月まで、彼は藩から諸国武者修行の旅を許可され、現在の31都府県を踏破する武者修行の旅をする。
本書は、文之助が旅の間につぶさに付けた日記をもとに、当時の諸国や庶民の様子、武者修行の実態を再現した貴重な記録小説だ。


武者修行というと、つい私などは「道場破り」のイメージで、行く先々で道場の門を叩き全国各地で大暴れする、という想像をしてしまうのだけれど、あにはからんや、実はこの時代、そんな乱暴な武者修行はなく、武者修行人のための支援システムは各藩によってきちんと整えられていたのだという。


まず武者修行の旅に出たい者はまず藩に申し出、許可を得た者は「手札」と旅に必要な軍資金である「手当」を渡される。
また宿泊は、各藩の定宿や城下町では修行人が無料で泊まれる修行人宿と呼ばれる旅籠屋に泊まるのだが、修行人宿の宿泊費は各藩が負担することになっているため、基本ゼロ円で泊まることができるのだ。
なんたる便利システム。


そして、藩は江戸の藩邸を通じて各藩校に修行人が訪れる予定の道場に訪問予定日を前もって知らせるよう要請する。
従って、いきなり「たのもう〜」と道場に飛び込んで挑戦する、なんて失礼なやり方はないし、ほとんどは一緒に汗を流し、稽古の後は気持ち良く杯を酌み交わす、という流れとなる。
「武者修行の実態は他流試合ではなく、他流との合同稽古だった。」
というのも、なるほどと頷ける。


このようなシステムに守られて、文之助は、天真爛漫に、そして物怖じすることなく他藩の修行人たちとも交流し、千葉周作玄武館斎藤弥九郎練兵館などの有名どころの道場などでも伸び伸びと稽古を続ける。
かなりの自信家らしく、誰と手合わせしてもおよそ「参った」ということがなく、「たいしたことはなかった」と感想を書いてみたりする。
それでいて、優れた剣士には感じるところがあったらしく、名前に「様」をつけてみたり。
愛すべき人柄が日記ににじみ出ている。


また、本書を読んでいて感じるのは、160年前と現代の、他者を歓待する態度の違いだ。
他者を迎え入れるということ、異なる文化や異なる技術を持つ者を受け入れるということは、受け入れる側にとっても自らの膠着した価値観や流儀を変えるきっかけや動因になり得る。
もちろん当時の人々は閉鎖的な政治体制の中で生きていた。
しかし一方で、自らが変わることの必要性を自覚し、それを歓迎する柔軟性も持ち合わせていたのではないか。
だからこそ武者修行のシステムのように、他者をスムーズに迎え入れる仕組みが構築されたのだと思う。
文之助の旅から数年後、我が国が明治維新という大改革を迎えたことを思うと、その感想もあながち的外れではないように思うのだ。


一方、現在はどうだろう。
私には、現在はむしろ隣国との関係や個々人のレベルの話でも、国益やプライバシーなどの名のもとに、官民をあげて他者を排除する仕組みを作る方に熱心になっているように思われる。
そのような傾向は、人と人との間の壁を厚く高くし、他者に対する不寛容を助長することに繋がるような気がしてならない。
本書で、牟田文之助が他藩の剣士たちと腹を割って話し合い、酒を酌み交わし、互いに涙を流しながら別れを告げる姿を見ていると、他者を受け入れること、自らが変わることの必要性は、現在の方がより高いのではないかと思うのだが。