「ウーマン・イン・ザ・ウインドウ」 上・下 A・J・フィン 著

日課は映画鑑賞と隣人たちの部屋を覗くこと、そしてその合間に高級ワインに耽溺する女性精神科医、アナ・フォックス。

精神科医といっても彼女は部屋から一歩も出ることができず、もっぱら治療は同じ病気、「広場恐怖症」の患者たちが集うサイトでアドバイスするくらい。

ドアを開け外の世界に出ることに恐怖し、自宅で隣人たちの浮気や趣味、チェロの音色、そして自分の心の声に耳を傾ける毎日。

他人との接触といえば時折、別居中の夫や子ども、そして地下室に間借りする男性と挨拶をするぐらい。

家族別々で暮らしていることと彼女の病気は関係がありそうだが、その原因はなかなか語られない。

 

そんなアナの観察の対象である隣家に引越してきたのは、夫婦と息子の3人家族で、なにやら訳ありの様子。

ふとしたことで母親と息子の2人とお近づきになったアナは、この一家の自宅を覗き見するうちにある衝撃的な事件を目撃してしまう。

急いで警察に通報するものの、なぜか被害者は手品のように消えてしまい、一家の誰もがそのことを認めない。

ついには警察までもがワインに溺れた覗き趣味の女性、つまりアナの妄想と決めつける。

なんとか事件を証明するため、家に居ながらにして真犯人に迫ろうとするアナだが、やればやるほど彼女の言動は病人のそれで、やがて自分ですら自分の目撃したことが信じられなくなってしまい、ますます酒に溺れ精神的な自滅に追い込まれていく…。

 

あらすじを書いているだけで、映画「裏窓」やアイリッシュの小説「消えた花嫁」などが思い浮かぶ。

アナが古い映画マニアという設定で、なるほどいろんなシーンがサスペンスフルな画像と共に頭に浮かんでくる。

ただし、それはヒッチコックの「レベッカ」みたいなモノクロの世界で、アナがアルコール中毒であることを考えると、酒に溺れる彼女が見ている世界は、実際にそんな色のない世界なのかもしれない。

けれど「裏窓」や「消えた花嫁」では、主人公を信じてくれる誰かがいた。

だけど、本作では最後までアナと一緒に戦う人は現れない。

それはアナが過去にある失敗をしてしまった報いでもあって、そしてその報いはアナ自身が償わなければならない宿題でもあるのだ。

 

人は誰でも、生きているその過程で、選んではいけない道に足を踏み込んだり、大事な選択を間違ってしまうことがある。

あとがきによると、著者も実は過去にアナと同じ病気を患い、立ち直った過去を持つという。

なるほど道理で、周りに心配と迷惑をかけ、悪癖をやめようやめようと思いつつ、酒瓶に手を伸ばさずにはいられないアナのどうしようもない情けなさ、自己嫌悪と自己弁護の描写が容赦ないと思った。

他の誰かが許しても、自分が最後まで自分を許せない、アナの行為は飲酒による緩やかな自殺行為だったんだと思う。

そんなアナを救ったのは、皮肉にも彼女の命を狙った真犯人なのかもしれない。

人は誰でも間違う、だけど、やり直すことはできる。

ラストでは著者からのそんなメッセージを受け取ったような気がした。

 

 

ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上 (早川書房)

ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 上 (早川書房)

 
ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 下 (早川書房)

ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ 下 (早川書房)