「ヌヌ 完璧なベビーシッター」 レイラ・スリマニ 著

ベビーシッターが子ども2人を殺して自殺を図った。なぜ?事件に至る過程を丹念に追いながら、人と人の間に横たわる無理解の深い溝と絶望を描く。

5月のある日、パリのアパルトマンの一室でベビーシッターが2人の幼児を殺害し自殺を図った。
「完璧なベビーシッター(ヌヌ)」
雇い主からそう呼ばれたルイーズという女性がなぜそのような凶行に及んだのか。
そして物語は陰惨な事件の起こった冒頭から、夫ポールとともに妻ミリアムが弁護士の仕事を再開するためにベビーシッターを面接するシーンへと転じる。
面接のその日から子どもたちに好かれ、ベビーシッターの仕事ばかりではなく、美味しい料理、自宅の整理整頓まで完璧にこなす女性ルイーズ。
子どもたちは彼女を「わたしのヌヌ」と呼び、慕う。
そしてポールとミリアムもやがてルイーズなしには自分たちの生活が成り立たなくなっていることに気づく。
では、ルイーズは?彼女は何を考え、何を悩み、何を望んでいたのか…


「うちのヌヌは妖精のように素晴らしい女性なの」
ヌヌ、そもそも大人であるルイーズに対して、親である自分が小さな子どもの使う愛称を使うこと自体が、ミリアムがルイーズという個性を持つ大人の女性の内面を無視していたことの表れかもしれないとも思う。
けれどそれは決してミリアムだけの話ではない。
だって私も店員、上司、同僚、教師、ママ友、そんな役割の仮面をかぶった人の内面がちらりと覗き見えた時、不必要にドギマギすることがあるから。
それは多分、彼ら彼女らに私生活があることを、つい忘れてしまっていること、いや本当はそれを考える面倒さに気づかないふりをしている自分に気づくからでもある。


悪魔は突然現れるわけではなく、たいていはその人の内面で眠っていて、恐らくはあたたかい人間関係だけがそれを抑える力になる。
それが得られない境遇にいる、またはそれを断ち切られた時、悪魔はその人の中で育ち外界に牙を剥くのだ。
私たちには「事件」が起こって初めてその残酷さが目に見える。
初めて…本当に?いや、本当は分かっている。
ミリアムも気づいていた。
ルイーズの寂しさ、寄る辺のない心細さに、そしてその不安定さに。
複数の人間の身勝手や自己保身、心の弱さ、様々な要素が重なって、惨劇が起こる。
おそらくは私たちが目にする多くの「事件」もまたそうなのだろうと思う。

ヌヌ 完璧なベビーシッター (集英社文庫)

ヌヌ 完璧なベビーシッター (集英社文庫)