「《誕生》が誕生するまで」 池田 学 著

私たちは細部であり、全部である。

私たちは微小であり、巨大である。

私たちは孤独であり、全体である。

 

あらゆる場所が成長し、壊れ、綻び、また生まれ続ける「人の暮らし」という巨木。

どこかで花が咲き、どこかでモノが壊れ、どこかで土や空気が汚染され、どこかで人が死んでいく。

それら混沌を抱えて枝を伸ばし続け、いびつな花を咲かせ続ける巨大な樹木。

私たちはこの巨木に等しく繋がっている。

どこかで誰かが不幸だったら、私たちの心にも小さな不安が芽吹く。

 

細部であり、全部。

微小であり、巨大。

孤独であり、全体。

この矛盾する理りはすべて微妙なバランスの上に成立している。

人の不幸や不安は芽となり、その芽は至る所で伸びて繁殖をする。

宿り主である巨木を乗っ取ってしまうほど。

いつかのある日、枯れ、根腐れした巨木は、地響きを立てて崩れ落ちてしまうかもしれない。

了解もなく依存して、破壊を尽くす。

そんな身勝手な私たちごと。

 

時折、激しい天からの大雨や強風、巨木自身の身じろぎによって、表面にはり付いた私たちは簡単にふるい落とされる。

けれど生き残った私たちはまた、諦めることなくこの木によじ登り、寝どこを整え、またささやかな「生活」を送ろうとするだろう。

健気に、日々を重ね続けようとするだろう。

続けること、多分、それが私たちの本分だから。

 

 

私たちは心のうちに誰にも見せることができないそれぞれの神殿を持っている。

自分だけの宝物や忘れがたい思い出を奥深くに隠しておける、大切な神を祀る神殿を。

手入れをしたり、改築をしたり、常に意識していないとたちまち廃墟になってしまう神殿を、私たちは心のうちに持ち続けている。

「誕生」という作品を美術館で見た時、私は自分の心の中にしか存在しないはずの神殿をそこに発見したような気がした。

細部であり、全部。

微小であり、巨大。

孤独であり、全体。

矛盾する、微妙なバランスの上に立つ私の神殿は、確かにこの絵の在り様と似ている。

 

池田学さんの作品、《誕生》という巨大な細密画を美術館で見た日、ミュージアムショップでこの本を購入した。

濃やかに描かれた細部の拡大図と解説、そして3年という年月をかけてこの作品が完成するまでを作者自ら振り返る。

東日本大震災を異国で知ったこと、そして「人間として自然災害とどう向き合うのか」がこの作品のテーマになったことはそこに明記されている。

なのに、その絵から大震災ばかりでなく、私自身の子ども時代の体験や故郷の思い出が次々に想起されるのは何故なんだろう。

人の暮らしの普遍性、たとえ私がいなくなっても人の暮らしは続くという安心感。

そして一抹の悲しみがこみ上げるのは、何故なんだろう。

 

 

 

 

≪誕生≫が誕生するまで The Birth of Rebirth

≪誕生≫が誕生するまで The Birth of Rebirth

 

 

 

池田学 the Pen

池田学 the Pen