「誰が音楽をタダにした?」 スティーヴン・ウィット 著

音楽はかつて、宝石のように希少価値のある貴重なものだった。

最近、音楽は「聴く」というよりもなんだか「消費する」と言ったほうがしっくりくる。
私の子どもの頃は「好きな音楽を聴く」ためには、その歌手が出演するテレビやラジオ番組をチェックし、家族団欒をこっそり抜け出したり、チャンネル争いに勝利しなければ(それさえも父の野球中継がない時に限られたが)聴くことはできなかった。
少し成長するとお小遣いを貯めてレコードを買い、親類の家でレコードプレイヤーやステレオを借りて聴いたり、友だちが録音したテープをダビングしてもらい何度も繰り返し再生したり。
音質なんて贅沢なことは考えたこともなかった。
だってあの頃、音楽はそのままで十分、宝石のように希少価値のある貴重なものだったのだから。


今はどうだろう。
あの頃あんなに手間暇かけて手に入れた「音楽」が、欲しいと思ったその瞬間に、時には無料で手に入る。
そしてそれは高音質で再生可能な小さな機械に何万曲も保管が可能で、貯め込んだ曲も指一本で消すことができるし、どんな所にも持ち運びできる。
当然ながら、日本レコード協会の統計を見ると、ここ10年、着実にレコード・CDの生産実績は低下し続けている。
そう言えば3年前、あるシンガーソングライターが「アーティスト的にはDL(ダウンロード)するよりもCD買ってくれた方が、将来につながります」「DLだとほとんど利益がないんだ」とSNSでつぶやいていたっけ。


さて本書は、こんな状況を作り出した張本人は誰なのかを探す…ではなく、音楽というコンテンツを巡り、堅固に構築された(と思われていた)ビジネスシステムが、ある画期的な技術革新や自己顕示欲に駆られた「音楽泥棒」たちによる海賊版リーク戦争によって、短期間に崩壊していくさまを描いたドキュメンタリーだ。
そしてこのドキュメンタリーは、古いシステムが燃え落ちたあと、灰の中から新しいビジネスモデルが生まれる過程を描くものでもある。
著者が5年に渡る綿密な調査と関係者へのインタビューによって明らかにしたその経過は、そこで生計を立てていた人には申し訳ないけれど、劇的でスリリングで、正直たまらなく面白い。


章を分け、4つの観点から本書は描かれる。
1つ目は史上最大のリーク源となった大手レコード会社のCD工場で働く男性の。
2つ目は革新的な音響データ技術開発者たちの。
3つ目はある音楽エグゼクティブの。
最後に音楽泥棒たちを追うFBIなど捜査官たちの。
それぞれまったく接点もなく別々の方向を見ていた彼らの行動が、やがて音楽産業を巡る「今ここ」へと絡み合い、結びつく。
しかし、私が衝撃を受けたのは、最後に著者がインタビューをした時、自分たちがかつての音楽ビジネスに対してしでかしたことに対して彼らはそれぞれ非常に無自覚であることだ。
故意なき、共謀なき、音楽産業に対する破壊行為。

「自分がなにをやってのけたか、わかってる?音楽産業を殺したんだよ!」

本書である人物が思わず漏らした一言。
科学者の好奇心や探究心によってなされた発明が多くの人の暮らしを変え、時には人の命を救うこともあり、場合によってはたくさんの人の命をも奪うこともある、ということはレントゲンや原子爆弾の発明などを思い起こせば明らかだろう。
また人の命とまではいかなくとも、数年前あるシンクタンクの「10〜20年後に、日本の労働人口の約49%が人工知能やロボットなどで代替可能」という発表や、インターネットの発展によりネット通販の利用が拡大し街の本屋や商店街を窮地に追い込んでいる様子などを見ると、急激な技術革新や構造変化は人の暮らしに大きな変化とある種の犠牲を強いることもわかる。


さて、本書に登場する人物たちの仕事への一途さやズル賢さ、爆発的なヒットに恵まれる一方でしゃぶり尽くされるミュージシャンやアーティストやインターネット上の聖域を守ろうとするオタクたちのある種の健気さ、ハリポタ作者の雇った弁護士事務所のやり口のエグさ(正当な権利に基づくとは言え)、それらを見ていると、音楽がいかに「お金」と分かち難く結びついているかを思い知る。
だからこそ致命的な変化となりうるのだけど。
しかし「お金」で成果をはかるなら、本書の登場人物の何人かは莫大な利益を得ている成功者だとも言える。
にもかかわらず、何らかの形で自分の期待や予想、理想を裏切られる結果になっているところが、音楽がお金だけで割り切れるものではないということの証拠かも知れない。
本書はそのことも教えてくれる。


「音楽産業を殺す」というのは本当に音楽ビジネスを巡るこの20年の変化を思うと、的確な言葉だと思う。
けれど、それだけでは十分ではない。
この変化は音楽産業に携わる人々から生計を立てるすべを奪い、それと同時に音楽というものの相対的な価値を貶めてしまったのではないかという気がするのだ。
いや、違う違う、音楽自体の価値は昔も今も人間にとっては大きなものであることは変わりない。
そうではなく、私が感じているのは、聴いては忘れ、簡単に捨ててしまえるようになったことで、人々の、音楽やそれを作る人への敬意が少しずつ失われていくことに対する怖さなのだ。
そしてパタパタと指でめくりながらレコードを探すときめきや、深夜ひとりで好きな曲が流れるのを待つ楽しい時間を失ってしまったという喪失感なのだ。