「四人の交差点」 トンミ・キンヌネン 著

この家には、伝えなかった言葉があり、使われなかった拳銃があり、燃やされた手紙があり、家族にさえ言えない秘密がある。

これはフィンランド北東部の小さな村の増築が繰り返された不恰好な家に住む、ある家族の物語。
この家には、伝えなかった言葉があり、使われなかった拳銃があり、燃やされた手紙があり、家族にさえ言えない秘密がある。
互いの胸のうちに秘密を抱えたまま、理解できない家族のふるまいに怒ったり泣いたり傷ついたり…それでも、人は毎日を生きていく。
そんな家族の100年の物語。


本書はマリア、その娘のラハヤ、ラハヤの息子の嫁カーリナ、そしてラハヤの夫オンニの四人の章に分かれている。
数年おきに起きた小さな出来事が、時代を行ったり来たりしながら語られる。
時系列ではないので、違う章で同じ出来事を違う人物が語ると、出来事はまったく違う様相を見せて驚かされる。


マリアの章では、助産師が珍しかった時代に閉鎖的な地域でパイオニアとして生きていこうとした若々しいマリアの気概や、父親のいない一人娘とのすれ違い、そして彼女が拡大し続けた家、その家を破壊した戦争のことなどが描かれる。
ラハヤの章では、忙しい母親のもとで過ごした寂しい子ども時代、母と違う人生を望んでいながら同じ父親のいない子を持ち、守ってもらいたいと選んだ優しい男性との耐え難いすれ違い生活が。
カリーナの章では、どうしても好きになれない家と、終わりがないように思われた気難しい姑との戦いが。
オンニの章では、子どもたちの良き父親であり、なによりも「普通」でいたかった彼の必死の努力と挫折が描かれる。


4人の登場人物は同じ家族の一員だけど、母娘であっても、夫婦であっても、胸の奥の奥にしまい込んだ秘密を誰にも明かさない。
ところどころ増築を繰り返した不恰好な家は、まるで住む人たちの心の有り様を写しているかのようだ。
あとがきによると、フィンランドの人々というのは、「黙って、ひとりで、闘う人々なのだ」とある。
冬の寒さと、凍てつく空気、まっすぐに立つ樹々の姿…当然本書はシベリウスの「フィンランディア」を聴きながら読んだ。


あとがきには「窓もドアもすべて開け放ち、助けてほしい、と叫んでしまえたら、彼らはどれほど楽だったろう」ともあったのだけど、彼らの秘密はどれもそんなことができるものとは思えないし、彼らに「他人に打ち明けてみたら?」と言ったらきっとこう尋ねられるのではないだろうか。
「他人に打ち明けることで楽になってしまうような悩みなんて、そもそも秘密にする必要があるのか」
窓を開けて「助けて」と叫べる程度の秘密って「愚痴」程度のレベルぐらいでは。


昔から私には「本音で語る」というのがどういう状況なのかがよく分からない。
友人から「うちはみんな友だちみたいな家族で」なんて言葉を聞いて、羨ましいとか微笑ましいとかは思えず、正直「怖い」と恐怖を覚えたし、そもそも人は「本音」をあけすけに他人に語ることなんてできるのだろうかと疑問に思っている。
そう言えばよく他人に「みずくさい」と言われるなあ…フィンランドに生まれればよかった。


ちょうど本書を読んでいる時に、現在係争中のSNSにおけるアウティングがもとになった事件についての記事などを読んでいた。
事件そのものについては詳細が分からないのでなんとも言えないのだけれど、SNSという便利なコミュニケーションツールが「気持ちを共有すること」のハードルを低くしてしまったことで、逆に人の大切な「秘密」の取り扱いは難しくなってしまったのではないかと感じた。
つまり人が心許せる人を見つけて、自分の大切な秘密を、面と向かって、相手の反応を探りながら小声で語り合うチャンスを、テクノロジーの進化は奪ってしまったのではないか、と。
また人に何かを打ち明けることは、それが重大であればあるほど、打ち明けられた人にもリスクや重荷を背負わせてしまう行為だとも感じた。
相手を大切に思えば思うほど、なおさら伝えられないという気持ちが、きっと本書の登場人物たちにもあっただろうと思う。


だけどなにより私は、秘密やそれに伴う苦しみやつらさは、ずっと自分だけのものであって欲しいと思う。
どれほど痛みを感じても、私の秘密は私とともに生き、ずっと胸にしまい、人と共有なんてしたくない。
この本の登場人物たちが最後の最後まで秘密を抱えて、その重みで溺れるように人生から退場していく姿を見ても、その気持ちは揺るがない。
ただ、本書をよく読むと、実は彼らの秘密はいつの間にか次の世代、次の世代にひそかに伝えられていることが分かり、それはそれで救われる思いがした。
そして、その秘密の継承者が血の繋がりのない嫁カーリナであることが、またいい。
この家の秘密は、血ではなく、それを引き受けられる強さと感受性を持つ者に受け継がれていくのだ。


四人の交差点 (新潮クレスト・ブックス)

四人の交差点 (新潮クレスト・ブックス)