「コードネーム・ヴェリティ」 エリザベス・ウェイン 著
第二次世界大戦の最中、イギリスから一機の飛行機がフランスに向けて飛び立つ。月明かりの下、乗っているのはマディとクイーニーという2人の少女。それは2人にとって運命の飛行となる。
第二次世界大戦の最中、イギリスから一機の飛行機がフランスに向けて飛び立つ。
月明かりの下、乗っているのは飛行機乗りのマディとイギリス軍の特殊任務員であるクイーニーという2人の少女。
それは2人にとって、運命の飛行となる。
2人だけの連合軍による共同侵攻。
本書は三部構成になっている。
唐突に始まる第一部は、ナチスの収容施設に囚われたクイーニーと思われる女性が、拷問に屈し「戦時のイギリスの民間人の戦時協力について」の情報を提供する、その手記という形をとっている。
彼女はナチスから暗号などの情報を漏らすことと引き換えに服や毛布を手に入れ、他の囚人たちの侮蔑の対象となっている。
しかし椅子に縛り付けられ、サディスティックな監視者が見守る中、2週間というタイムリミットを設けられて手記を書く彼女も、この手記が完成した暁は、いずれ死が待つ強制収容所送りになることは分かっているのだ。
そんな絶望的な状況の中で、彼女は時にナチスを揶揄し非難するような文章を散りばめながら、その手記をあたかも飛行機乗りのマディと彼女自身の友情物語のように書き進める。
戦争の始まり、そして2人がフランス、オルメの街に任務を帯びて降り立つまでが、当事者ならではの緊迫感のある豊かな感情表現を交えて細やかに描かれる。
何よりも戦争という大きな混乱の中で、平時であれば出会う機会などない庶民でユダヤ人のマディと、スコットランド女王メアリ・スチュアートの血をひく貴族でオックスフォード大で学んだクイーニーが巡り会い、離れがたく結びつき、互いを必死で支え合う姿に心動かされずにはいられない。
まるで戦火に燃え上がる恋の炎を見ているように。
親友ができるのは、恋に落ちることと似ている。
そして第二部では飛行機乗りのマディが、オルメで地下活動をするレジスタンスたちに匿われながらクイーニーを救出しようとする経緯を彼女自身が記録する手記という形をとっている。
一歩間違えると任務違反で処罰されるかもしれない記録だけれど、一人ぼっちで言葉も不自由な環境で必死に親友を助け出そうとするマディの姿は、その頃同じようにマディを思いながら過酷な環境で手記を書いていたクイーニーを知っている読者には胸が締め付けられるような思いをさせる。
さあ、クイーニーは救われ、2人は再び巡り会うことができるのか…そしてクイーニーの手記はどこまでが真実(ヴェリティ)なのか。
すべては第三部で明きらかになる…。
本書は「2人の少女の視点から捉えた戦争」を描いているのだけれど、ナチス側の登場人物にも印象的な人物たちがいる。
中でも、ナチスのオルメにおける責任者フォン・リンデン大尉、ドイツでは校長を務める教育者でありクイーニーと年の近い娘を持つという彼が、なぜ捕虜やレジスタンスたちに非人間的な行為を粛々と遂行していたのか。
これらはフォン・リンデンによる「思考停止」、ヒトラーやナチスそして国家への高度な「忖度」ではなかったか。
このように自分の信念や他人の命さえも犠牲してまで有能な官吏であろうとする心根を、ハンナ・アーレントは無思考性のあらわれであり、「凡庸な悪」と名付けたのではなかったろうか。
「kiss me, hardy」
これはクイーニーの手記にたびたび登場するネルソン提督の最期の言葉。
実は、この言葉の前に、ネルソンはこうも言っている。
「Thank God,I have done my duty」
「神に感謝します。私は義務を果たしました。」と。
ああだけど…私は願う。
あたら若い命を国家に捧げることを賞賛しない世界を生きていけることを。
クイーニーとマディがそれぞれの才能を活かし、華々しくはなくても平凡であっても、人生を全うできる世界を私たちが生きていけることを。
- 作者: エリザベス・ウェイン,吉澤康子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2017/03/18
- メディア: 文庫
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