「死にゆく患者(ひと)と、どう話すか」 明智 龍男 監修 國頭 英夫 著

「そういう文化を創ってしまって、みんなで死を考えることが当たり前というような社会にすれば、それは暗くも何ともなくなるのだと思います。」

本書は、日本赤十字看護大学一年生後期の基礎ゼミ「コミュニケーション論」において、進行がんの治療を専門とする國頭英夫医師によって行われた講義の記録である。
テーマは、医療者として臨床現場で死を前にした患者に何をどのように語るのか、そのコミュニケーション・スキルを学ぶこと。
國頭先生はこの学習を、原発事故における瓦礫の片付けに例える。
地味で辛い作業だけれど、「誰かがやらねばならないこと」であると。


「医者には三つの武器がある。第一に言葉、第二に薬草、第三にメスである」

このヒポクラテスの言葉にある他の二つは大学で系統立てて学ぶカリキュラムなどが整っているが、言葉、コミュニケーションについては、人が千差万別である以上、確立されたノウハウや代々受け継がれた正統なスキルがあるわけではない。
本書でも國頭先生が監修を務めたTVドラマ(「白い巨塔」「コード・ブルー」など)のシーンを参考に手探りで講義は進むのだが、よりよいコミュニケーションとは何か、ということを先生と学生たちが答えを探す過程で見えてくるのは、医療者と患者、患者の家族とのコミュニケーションギャップである。
なによりもつらいバッドニュースを患者に知らせる時の心構え、見捨てないということを伝えるための言葉、表情、態度、部屋や椅子の位置、タイミング…。
ひとつ間違うと患者を絶望の淵に立たせることになる、医療者が背負うものの重さにきりきりと胃が痛む。
なぜ医療者は、学生たちは、これほど苦しく大きな責任を伴う仕事を選び、学び続けようとするのか。


どんな人でも、仕事を遂行する上で、精一杯やったのに誰にもわかってもらえない寂しさ、重い苦しみを分かち合えないつらさ、深い孤独を思い知り絶望することがあるのではないかと思う。
本書で國頭先生は福田恆存氏の安楽死に関する言葉を引用する。

安楽死は宜しく一医師の個人的判断と良心に委ねるべきであり、法といふ外的メカニズムに委ねてはならない。医者の判断と良心に委ねられてゐる限り、彼は自分の判断の成否に悩み、良心の痛み、後ろめたさを感じるはずである。その後ろめたさを感じる事によって彼は人間であり得、人格を保ち得る」

人生において、仕事において、他人と分かち合えない後ろめたさや苦しみに襲われること、それは単に人が孤独だということの証左ではない。
実はそれこそが、人をその人たらしめる糧そのものなのだということ。
この言葉は、これから医療者として生きる学生たちの心の支えとなるかもしれない。


本書は医学系の出版社から発行され、読者も医療に携わる人を対象にしていると思うが、大学生への講義なので難しい医学用語も少ない上、丁寧な解説があるのでまったく不自由な思いはしないと思う。
むしろ、我が国における終末医療について、安楽死と法制度について、がん告知について、また自分はどのような死を迎えたいのか、家族の死にどのように対応すべきなのか、一度真剣に考えるための素晴らしい教材になっている。


それにしても、この授業で学んでいる学生さん方が賢明であること、純粋であること、そして一生の仕事を選んだ初心の美しさに感動してしまう。
それが医療者を目指した理由かどうかは分からないが、何人かの方が身内を亡くした経験を語っていて、だからこそこの授業で「遺族」として、そして「医療者」としてどのように振舞うべきなのかを真剣に論じる。
まだまだ人生経験も浅い中で頼りになるのは己の想像力、共感力、講義が進むにつれて学生たちが成長していく様子が感じられる。


私はいつも面白いこと言うSさん(本書では実名)、彼女に先生が語る助言がツボにはまった。

せっかくだから言っておくけど、Sさんは一言余計だね(笑)。それも、ウケを狙って余計なことをわざと言ってるでしょう?いや、別にそれを叱っているわけではありません。なんたって、私がそういう性質だから(笑)。だけど、自分でそのキャラクターであるということを自覚していないと、その余計な一言が墓穴を掘ることになるので、気をつけた方がいいよ。

激しく首肯しました、私もそうだから…あぁ。
その人らしいと言えば聞こえはいいけど、人というのは、きっとその人の「そのようにしか生きられない」癖とか、生き方に縛られるのだろう。
誰かの真似をしようとか、巧く生きようとか、いろいろやってはみるのだけれど、コミュニケーションには、結局その人の人となりが決定的に影響する。
これは残酷なことだけど、自覚するのとしないのとではおそらく結果が大きく違ってくると先生は言っているのだと思う。


それにしても、言葉って怖い。
言葉はいったん口から出た途端、独自の力を持ち始め、人に希望を与えもすれば、孤独の中に閉じ込めてしまう力も持っている。
だからこそ、本書の中である学生が言った提案に私も希望を託したい。

「そういう文化を創ってしまって、みんなで死を考えることが当たり前というような社会にすれば、それは暗くも何ともなくなるのだと思います。」

私たち全員が、遅かれ早かれ「死にゆくひと」なのだから。


死にゆく患者(ひと)と、どう話すか

死にゆく患者(ひと)と、どう話すか