「ねないこは わたし」 せなけいこ 著

「ねないこ だれだ」。ねないこはわたしだったの。

子どもたちが保育園に通っていた頃、寝る前に必ず一冊は絵本を読む約束をした。
そしてその中には本書の著者、せなけいこさんの「ねないこ だれだ」や「いやだ いやだ」、「あーんあん」、「めがねうさぎ」もあった。
子どもたちは、みんな言うこと聞かない子、おとなから叱られるようなわるい子の出てくる絵本が大好きだ。
一緒に絵本を読みながら、いつの間にかうとうとしてしまい、何を読んでいるんだか分からなくなってしまい適当に作って、子どもたちに「なんの話?」と笑われてしまう、毎晩のように繰り広げられる儀式。


本書では、そんな作品を作ったせなさんの子どもの頃の話や、結婚し母となり自分の子どものために作った絵本がきっかけで大好きなうさこちゃん、そうミッフィーちゃんと同じ会社から本を出せることになった経緯などが、その独特の「貼り絵」とともに語られる。


いつも「いやだ」とばかり言っていた子どもの頃、「お嬢様が絶対正しい」と言ってくれるねえやと、彼女がくれた一冊の本が著者の人生を決めたこと。
息子ににんじんを好きになって欲しくて作った、そんな手作り絵本が、本を出版するきっかけになったこと。
落語家の夫との暮らし、そんな環境で落語をもとに絵本ができたこと。
母の期待に応えられない苦しさや悲しみ、だからこそこの道を邁進してこれたという複雑な思い。


才能のある女性が家事や子育てに埋没しながら、子どもの泣き顔にも、反抗期にも、おかずのにんじんにも、自宅に流れる落語にも、自分の身の内にある「作家」、「作り手」としての何かが発動する。
そんな姿に、これは立派にキャリアウーマンの話でもあるんだなあと感じる。


ほんとうは、毎日仕事と家事をこなしてクタクタで、見えない明日のこと、突然風邪ひいて咳きこんだり熱を出したりする子どもたちの心配、忙しい仕事のこと…頭がいっぱいいっぱいで、「いやだ いやだ」「あーんあん」と泣きたいのは私だった。
寝ないとダメ、泣いたらダメ、と自分に言い聞かせて、また夜明け前に起きておにぎりを握る。

ためになると思って
描いたわけじゃない。
しつけの本でもない。

おばけになって
飛んで行きたかったのは
わたしなの。

そう、毎晩の絵本は、実はわたしのために読んでいたの。
また始まる明日を前に、子どもたちと布団に入るその時だけは、やさしいもの、やわらかなもの、うつくしいものに包まれたかったの。

「ねないこ だれだ」

ねないこは、せなさんだけじゃない、わたしでもあった。
ねむろうとしなかったのは、わたしの中の外で働かずにはいられないなにか、社会に出て人と関わらずにはいられないなにか。
おばけになって一緒に飛んで行きたかったなにか。

ねないこはわたし

ねないこはわたし