「窓際のスパイ」 ミック・ヘロン 著

失敗や挫折によって役立たずの烙印を押され閑職に追いやられたスパイたちが、人生の大逆転を目指して新たなミッションに挑む!

窓際族という言葉が昭和5〜60年代に流行した。
出世コースから外れたサラリーマンがメイン業務から遠い窓際の席に追いやられて毎日つまらない仕事しか与えられない様子を表した言葉だが、人員を遊ばせておける状況というものを今考えるとかなり牧歌的にも聞こえる。


しかし日本ばかりではなく、イギリスの情報機関MI5(ジェームズ・ボンドの活躍する国外担当のMI6ではなく国内担当)でも、役に立たずの烙印を押された職員は隔離施設、別名「泥沼の家」送りとなり、暇つぶしの書類整理などの閑職をあてがわれ、自ら職を辞するか、そこで定年まで飼い殺しにされる運命に見舞われる。
こちらは人余りというよりも、不当解雇に係る訴訟が怖いからという面もあるようだが。
主人公リヴァーもまた、昇進試験の途中で失態を犯し、この「泥沼の家」の「遅い馬」(原題の「SLOW HORSES」)たちの一員となる。
このまま一生無意味な書類仕事を続け、やる気のない「遅い馬」たちに囲まれて生きるのか、と絶望感に包まれながらも、リヴァーはここにい続けることを選択する。
いまだかつてそのような例はないと知っていながら、なおもリージェント・パーク、本部にスパイとして返り咲くことを夢見て。


リヴァーのこのスパイという職業への強い憧れは、祖父デイヴィットから植え付けられたものだ。
祖父は今でこそ田舎で庭仕事に勤しむ好々爺だが、冷戦時代にはスパイマスターとして活躍していた。

爺さんがいなければ、おまえはここに来ることすらできなかったはずだ。

まさにおじいちゃんのコネで首の皮一枚ようやく繋がっているという絶望的な状況。
リヴァーにこの言葉を吐いたのは、この「泥沼の家」の主でリヴァーの上司であるジャクソン・ラム。
この人物、毒舌で太っちょ、そのうえ辛辣な言葉や下品な軽口、下卑た仕草で女性部下たちをうんざりさせている。
と聞けば、嫌でも同じイギリスミステリ界で大活躍したダルジール警視を思い出す人もいるだろう。
実は著者はこの「泥沼の家」シリーズの2作目「死んだライオン」でゴールドダガー賞を受賞している。
過去に「骨と沈黙」で同賞を受賞したレジナルド・ヒルがそうだったように、ユーモアと個性豊かな登場人物たちが活躍する作品を提供する後継者の一人と目されているようだ。


さてシリーズ1作目の本作品では、このスパイのゴミ捨て場のような「泥沼の家」のメンバーたちが唐突に誘拐事件に巻き込まれる。
誘拐されたのは英国生まれのパキスタン人の男性で、誘拐犯たちは48時間以内に彼を斬首し、それをネット上で公開すると宣言している。
これが実行されると、当然ながら先進国とイスラム急進派との間で血で血を洗うテロ合戦に発展しかねない。
元アル中やコミュ障のネット中毒者、地下鉄に大事な機密ディスクを置き忘れた者や尾行の失敗で拳銃を街に放った者、そしてリヴァーがどのようにしてこの事件に巻き込まれ解決に貢献するのか。
また本部のNo.2であり影の実力者でもあるレディ・ダイと喰えない上司ラムとの丁々発止の駆け引きも見逃せない。
返り咲きを目指し一発逆転を狙う彼らの運命は…。


ところで、イギリスのスパイものと言えば、思い出すのは映画「キングスマン」。
私の頭の中ではリヴァーは「キングスマン」でのタロン・エガートン演じるエグジーと重なっている。
そして父親不在で育ったリヴァーが祖父やラムによって教えられ、しごかれ、という展開は、「キングスマン」における父親的存在との出会いと絆、というテーマも想起させられ、いずれのシリーズも今後が至極楽しみだ。


実は次作は先日読了したのだが、次作は本作を上回る大事件と大混乱に見舞われ、まさにレジナルド・ヒルお得意のドタバタ活劇がミック・ヘロン流スパイ版として華麗に繰り広げられる。
もちろん、スパイらしく裏の裏をかく駆け引きやスリル満点のアクションなども忘れてはいない。
少しずつ、枯渇したと思っていた自信や希望を見出す者や、必要ないと思っていた仲間意識に目覚める者、落ちこぼれスパイ同士の愛情など、「遅い馬」たちにもそれぞれ変化や成長が見られ、なんだかメンバーたちがだんだん身近に感じ始めてきた。
こんなに次作が楽しみなシリーズは久しぶりだ。


窓際のスパイ (ハヤカワ文庫NV)

窓際のスパイ (ハヤカワ文庫NV)