「父の生きる」 伊藤 比呂美 著

身につまされ、ちょっと勇気づけられながら、泣くに泣けない境遇を笑い飛ばす。父のためにアメリカと日本を行き来する日々を描く著者の介護日記。


ここしばらく家族のあれやこれやで文字通り走り回る毎日だった。
まとまった時間が取れなくて、日記形式になった本書が用事の合間合間に読むには丁度よくて、傍らにおいて時折ひらいて気分を変える。


遠く離れたカリフォルニアで、日本で一人暮らす父の愚痴やさみしさに満ちた言葉に耐えかねて、著者は父親の言葉を書き留めてみることにする。

ある時は生きると言い、ある時はもう終わりだと言う。

だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら死因は『退屈』なんて書かれちゃう。

目の前で言われたら、つい反論してしまいたくなるような言葉でも、書いてみると冷静に受け
止めることできるし、反省もできる。

父の愚痴を、書きとめて字に起こしてみると、愚痴は、ただのもがきでした。私に対する攻撃でもなんでもなかったんです。父の寂しさが、父の孤独が、私にひしと寄り添ってきました。

そしてこんな感想を抱くこともある。

こうやって人を食い荒しつつ人は生きていかねばならないものかと、一日考える。

こうした言葉を読んでいると、まるで私の心から生まれてきた言葉であるかのようにも思われてくる。
そして、いやいや、”食い荒らされている”私の生は、そもそもこの人がいたからこそ存在しているのに、と考えなおしてみたりする。


けれど、介護日記と言いながら、決して暗い重い作品ではない。
介護しているはずの父に泣きついてゴキブリの始末をしてもらったり、TVを見ながらお前は沢口靖子に似ていると言われてみたり、生きていたら母(妻)に怒られそうなことを2人でやって大笑いしてみたり。
怒りやイライラを溜めては落ち込んで、でも、父がふと漏らす言葉にしんみりしたり。
不思議な日々、それでも、そうして、別れは必ずやって来る。


人間の営みにはどんなに深刻な事態になっていても、どこかに少し滑稽なところがある。
病む、老いる、失恋する、失敗する…そんな場面であっても、いやそんな場面だからこそ。
私はいつも、その中でその滑稽さを探しては、その可笑しさに救われている。
その可笑しさが疲れた重い腰を上げる梃子になっている。
明日はどうだか分からないけど、とりあえず今日はやってみよう、起き上がろうと思う力に。
ありがたいことに、著者の本はその可笑しさを探すヒントをいつも与えてくれる。
著者は物事の見方を反転させる回転軸のようなものを見つけるのが本当にうまいんだもの。


最後の数頁は堪えきれずに本を閉じてお風呂で一人読む。
そして最後の頁を読み終えて、超長距離介護の記録、大切なお父様との日々と別れをこうして読ませて頂いてありがとうございますと手を合わせた。



父の生きる (光文社文庫)

父の生きる (光文社文庫)