「未成年」 イアン・マキューアン 著

尊重すべきは法か宗教か愛か。「裁く」だけでは答えの得られない問いに向き合うということ。

本書の主人公は女性裁判官フィオーナ。
物語は、彼女が夫から婚姻関係を維持したまま別の女性と関係を結びたいと告げられるところから始まる。
夫は近づく老いに抗うかのように軌道を外れてみたいと訴えるのだがフィオーナは拒否。
子どものいない夫婦として夫と50代後半になるまで良好な関係を築いていると信じていたフィオーナは激しいショックを受け、出て行った夫を締め出し仕事に向かう。
そんな彼女にある事件が依頼される。
白血病の17歳の少年アダムがエホバの証人の信者であることを理由に輸血による治療を拒んでいるという事件だ。
自ら治療方法を選択できる成年となるのは18歳からだが、彼はそれに数ヶ月足りない。
輸血をしなければ、長く苦しい拷問のような過程を経た死が待っているが、彼や家族は宗教的信条を優先したいと訴えている。
フィオーナは迅速な判断を求められる中、彼と面談をすることを決意する…。


イアン・マキューアンは本当にすごい作家だと改めて思う。
前作の「甘美なる作戦」では、頭はいいけれど(よく言えば)純粋で裏表のない若い女性の可愛さと愚かさを生き生きと赤裸々に描いて見せたかと思えば、本書では長年司法の世界で生き、法と秩序の守り手として生きてきた女性フィオーナをまるで隣で息をしているかのような確かさで描き出す。
正義と論理を第一義的に貫いてきた女性。
その螺旋のようにくるくると回りながら最終的に唯一無二の結論に着地するその思考過程や、本人が少し恥じてもいる真っ当な生き方、堅苦しさ、女性としての意地、法律の専門家としてのプロ意識と、それらを併せ持つフィオーナのリアリティ。


社会的規範である法と、人の心の拠り所である宗教と、自然にあふれる愛や希望という人間的な感情と。
これら三つの重要な要素に囲まれて、これまでの人生で難しいバランスを保ち続けてきたフィオーナが、純粋な、あまりに純粋な未成年の青年によって気持ちを揺さぶられ、惑う。
理性的な生き方を貫いてきた者が、私心のない他者との関わりによってバランスを失う、という…これどこかで読んだなあ…そうか萩尾望都さんの「トーマの心臓」だ。
あの作品でもやはり、何かを一義的に信じて殉じるのではなく、人は過ちを犯す存在で、そしてそれを踏まえた上で、人はいかによりよく生きるのかという問いが登場人物たちの間で何度も反芻されていた。


法と宗教と愛と。
フィオーナは裁判官として、そして女性として、ひとりの人間として、それらを尊重しつつ、正義とはなにかを追求し、正しい生き方とはなにかを自問自答し、アダムに大人として「正しい答え」を提示しようと模索する。
しかし、実はアダムの命を科学的な治療で救うべきか、彼の信条を尊重して死に臨ませるべきかという難しい問いは、判決を下した時に終わるものではない。
たぶん生きていくその中で常に問い、悩み続ける類いの重要な問いであり、そして、裁判官という立場や仕事だけを頼りに回答できない難問なのである。


そしてまた、悲しいかな、私たちは道に迷い、間違いを犯し、自分の弱さにつまづく人間だ。
だからおそらく、私たちが生きていく中で「正しい選択をした」と確信を持って断言できることなんてそれほど多くはなく、たくさんの人が「あれでよかったのだろうか」という一生続く自問自答を抱えている。
そうして惑いながら、自分の中の弱さや愚かさを認め、自分もまた生きるための拠り所や他人の温かさや愛を必要とする存在であることを受け容れた時、フィオーナの中で何かが変わったように、人は自分というものを知り、そして他者の中に同じものを見つけることができるのかもしれない。
そして、そこで初めて他者との間で、唯一の大切な関係というものが始まるのではないだろうか。
けして長くはないのに、なにか深く大きな問いを投げかけられたような、不思議な読後感の残る物語だった。



未成年 (新潮クレスト・ブックス)

未成年 (新潮クレスト・ブックス)