「血の探求」 エレン・ウルマン 著

「私はだれ?」ある女性の精神分析のセッションを盗み聞きするうちに、その出自の探求に惹かれていく主人公。異様なシチュエーションがやがてそれぞれの人生に向き合うターニングポイントとなっていく…。


休職中の大学教授である主人公が授業の準備のために借りた部屋。
ところが、その部屋はもと続き部屋だったらしく、隣室では精神分析医がカウンセリングを行う声が聞こえてくる。
最初は静けさを破られ怒りを覚えていた彼だが、ある患者のカウンセリングを盗み聞きするにつれ、次第に養女であるという彼女と、その謎めいた出自に魅せられてしまう。
インフルエンザで体調を崩したときも、部屋を追い出されそうになったときも、患者のセッションに死に物狂いで聞き耳をたてる主人公(あとがきにもあるがこの必死さは少し笑える)。


やがて彼は、衝動的かつ内密に彼女の出自を探す手助けをし始める。
実は彼には、患者の「謎」にのめり込む事情があった。
そして冷静に思えた精神分析医にも家族にまつわる秘密があり、患者の出自が明らかになるにつれ苦悩が深まり、自身が別の医師に不安定な心のうちを相談し始める始末。
患者の出自に惹かれ、そして恐れを感じる三者三様の理由。
そしてついに明らかになった彼女の出生、彼女の両親、彼女の肉親は…。


本書は小説の地の文ほとんどが精神分析医と患者とのセッション、会話から成り立ち、風景や情景の描写も患者の説明と会話の内容に拠っているという特殊な構成である。
したがって読者には、通常の読書よりも活発な想像力が求められる。
またその話の中で「起こったこと」はあくまでも、語り手の主観的な感想であって、客観的な事実とは違うものであるという留保が付いて回る。
そして語り手が意図的についた嘘もまた。
油断できない読書、結構しんどい。


だけど時間が進むにつれ、徐々に明らかになってくる患者の出生の秘密、そして産みの母の境遇と第二次世界大戦中の数奇な運命に、読者は否応なしに引きずり込まれてしまうだろう。
そして終戦のあの華やかな祝賀ムードとはまるで陰影が逆転したような、敗戦国ドイツと、そして踏みにじられた国の人々の戦後の歩みの中に、現在に至るまで解消されていない大きな歪みを発見するのだ。
そしてその歪みは、親から子に脈々と引き継がれているということも。


ところが、ところがである。
読者は、患者の母親の語りの中にもまたこれは嘘かもしれないという「疑い」を発見するのだ。
もちろん、彼女には彼女の、嘘をつく理由があるのだけれど。
果たして、患者が出自を探す旅であれほど見つけ出したいと願っていた真実や愛は、見つかるのか…。


誰もが「血」から離れることはできなくて、さらに人は「血」に紐づいた宗教や国にも縛り付けられる。
その根拠は誰が自分を生んだか、どの国で生まれたか、という偶然に左右されるものの。
それでも、縛り付けられる拠り所のある人は、善かれ悪しかれそれが自分を作り上げる基盤となる。
基盤が曖昧な人は、それを探すために他人の証言に拠り所を見つけなければならない。


しかし所詮、人が語る「過去のできごと」はあくまでも主観的で、そこには話し手の意図が必ずと言っていいほど混入している。

でも、私には自分の知っている物語を、自分に起きた物語を、自分が理解しているようにしか話せない。それがあなたの望み?

主人公の大学教授が自分の行動を糾弾された事件において、自分についての多くの人々の証言が集められた報告書を読んでこう思う。

私はいまだに自分がだれなのか、何者なのかを解読できなかった。

「私はだれ?」
同じ問いを抱えていたからこそ、主人公はこうも患者のセッションに取り憑かれてしまったのかもしれない。


そして、あまりに重い登場人物たちの「語り」のあとで、その答えはおそらく他人に決めてもらえることではないということ、それは雑音発生装置の霧の中で、自問自答しながら生きていくしかないという現実がぽつんと置かれているのだ。



血の探求

血の探求