「セルデンの中国地図」 ティモシー・ブルック 著

一枚の地図に、17世紀に起こった世界のパラダイムの変革、学者や文人たちのあくなき研究心、そして航海者たちの富を求める欲望、羅針盤や星を頼りに大海原に乗り出した無名の船乗りたちの冒険心という宝石のような物語を見た。


一枚の地図がある。
たて160㎝、よこ96、5㎝、すべて手書きで着彩されたまるで風景画のような美しさ、そして寄贈されてから400年近く経っていることを考えると、その地図は地形学的に驚くほどに正確だという。
左に中国、下には現在のマレーシア、インドネシア、フィリピン、右には台湾、沖縄島、そして九州と本州と四国が一つになったような楕円形の日本が北に伸びている。
地図上の万里の長城の上方、北京の真北に当たる中央部に羅針図、そしてその上にはモンゴルの柳の木、西にはスモモの木がたくさんの花を咲かせている。


だが、不思議なことがある。
一般的な地図と違って、この地図の中心は陸地ではなく南シナ海海上にあるのだ。
このような構図は同時代のどの地図にも見られない特徴だ。
また、南シナ海の周辺の島々は詳細で、現在の東南アジア情勢を考慮すると、下手をするとこの地図が領土問題に影響を及ぼすことが危惧されるほど、貴重かつ危険な地図でもある。
長いあいだ忘れ去られ、100年ぶりに日の目を見たこの地図は、誰が、なんのために作ったのだろうか?


本書の著者は現在カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学アジア研究所で歴史学の教授を務めるティモシー・ブルック。
彼は2008年にオックスフォード大学ボドリアン図書館で偶然発見された地図を見て、その特異な構図や各陸地の位置の正確性に驚く。
「17世紀の歴史に心を奪われている者」である彼はこの古地図を紐解くことによってこの地図に関わりを持つさまざまな時代のさまざまな国籍をもつ人々の物語を私たちに語りかける。


この地図は寄贈者にちなみセルデン地図と呼ばれている。
彼の名はジョン・セルデン、イギリスの法律家で、イングランド王ジェイムズ一世の時代ーーーそれはシィクスピアが《テンペスト》を初演し、ジョン・ダンが活躍していた頃ーーーに彼は東洋学と憲法学の分野で比類なき業績を打ち立てることになる。
セルデンの生きていた時代、それは世界がパラダイムの大きな変化にさらされる、まさにその時だった。


海によって繋がるこの世界はどこまでも広い、そして未知の素晴らしいものが我々を待っている!というワクワク感。
それはイギリスが東インド会社を足がかりに世界の海に進出しようとしていた頃、パイレーツオブカリビアンの時代といえば当時の空気が伝わるだろうか。
セルデンは、互いに国の利益を守るためにオランダのグロティウスと論陣を張り、それはやがて国際法の基礎に繋がる。
彼のモットーは「何よりも大切なのは自由」で、そのためにこそ法律はあるという彼の信条は時の権力者の逆鱗に触れ、2回の投獄という憂き目にあう…。


さて、地図の来歴を探索する旅は、寄贈者から、地図に注釈を加えたものたちの物語へと続く。
中国人でありながらイエズス会宣教師の弟子となりヨーロッパに渡ったマイケル・シェンこと沈福宗(しんふくそう)。
彼はアジアにおけるイエズス会の布教の成果「中国人改宗者」の生きた証としてヨーロッパで歓迎された。
そして東洋に魅せられたあるイングランド人、ボドリアン図書館の館長トマス・ハイドに請われ、その中国語とアジア地域の知識を使ってセルデン地図に注釈を加える手伝いをする。
その後、病に倒れアフリカ沖で亡くなった彼の運命の数奇なこと…。


そして未知のものとの遭遇を切望する時代、そんな時代の主役はヨーロッパ本国でお土産を待っている王や商人たちではない。
本当の主役は尖兵となって大海原に乗り出した船乗りたちであり、そんな彼らを目的地に導くために不可欠なもの、それこそは正確な地図だったのである。
探索の旅は、さらに東インド会社の社員として東南アジア航路を切り開くため出港した司令官ジョン・セーリス、そして当時のアジアで中国人や日本人に翻弄されたイングランド人、リチャード・コックスやウィリアム・アダムズ(日本名・三浦按針)へと続く。
そして彼らと渡り合い、巨額の資金を引き出していた逞しいアジアの海の民、李旦・李華宇の李兄弟、その弟子である鄭芝龍と彼と日本人妻との間に生まれた息子鄭成功(国姓爺ですね)。
彼らが描いたのは、東南アジア圏で自由な貿易帝国を実現するという夢だった…。


そして探索の旅は地図製作者が住んでいたであろう中国にたどり着く。
地図の正確性は、当時の中国における羅針盤の発明と無数の水先案内人や航海長の口伝や経験によって引き継がれたノウハウによって実現したものと考えられるからだ。
著者は、そのような無数の記録に残らない情報の断片を書物に書き残した一人の中国人、張燮(ちょうしょう)を紹介する。
彼は科挙試験の最終段階「進士」試験に挫折、「挙人」の学位を得て役人になったものの上役に嫌われ解雇され故郷に帰る。
しかしここで彼は文人となり、大好きな海や船(船好きが高じて、故郷の川に浮かべた屋形船で余生を過ごしている)に関わる驚くべき書物を著すのだ。
彼がその著書「東西洋考」において重視したのは国家イデオロギーではなく、なによりも事実であり、海をめぐる人間の流れだったという。


人は見たいものを見る。
一枚の地図に、自らの所属する国の領有権を主張する根拠を見たいと思うものもいるだろう。
私は、たった一枚の地図に、17世紀に起こった世界のパラダイムの変革、学者や文人たちのあくなき研究心、そして航海者たちの富を求める欲望、羅針盤や星を頼りに大海原に乗り出した無名の船乗りたちの冒険心という無数の物語を見た。
さて本書は、この地図の謎と来歴をどこまで明らかにすることができたのか、ぜひ手にとって確認してほしい。

セルデンの中国地図 消えた古地図400年の謎を解く (ヒストリカル・スタディーズ)

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