「アンティーク・ディーラー 世界の宝を扱う知られざるビジネス」 石井陽青 著

アンティーク、それはほとんどの人間よりも長く、この世に存在するものたち。私たちの知らない世界、知らない時を過ごしてきたものたち。そんなアンティークの世界を垣間見る絶好の入門書。

子どもの頃、家族で骨董品の鑑定番組などを見ていると、母が「昔、おじいちゃんが亡くなった時に、蔵にあったいろんな骨董品を親類たちが持ち去ってね…」と話し始めるのが我が家のお約束だった。
耳にタコの私と弟が「はいはい。雪舟雪舟ね」と合いの手を入れる。
それを受けて母も「そう、雪舟の掛け軸。それと正絹の着物、青磁の壺…」と語り続ける。
幼い兄弟7人が遺され、ハゲタカのような親類に騙され落ちぶれていくその物語は、子どもの頃は小公女の話並みにワクワクした。
やがてひとり語りは「ごめんね。なにも遺してあげられなくて…」という言葉で締めくくられるのだった。


ともあれ、お宝には「ものがたり」がつきものだ。
本書のテーマであるアンティークにも伝説やいわくがついて回る。
なにしろ、「アンティーク」の正式な定義は

「今から100年以上前に作られた製品」

である。
実はこの定義は「アメリカ合衆国通商関税法」の規定をもとに決められた厳密な定義で、現在もWTO世界貿易機関)で採用され、ヨーロッパや日本でも通用するものなのだという。
つまりアンティークは、現在生存しているほとんどの人間よりも長く、この世に存在するものたちということになる。
私たちの知らない世界、知らない時を過ごしてきたものたちなのだ。


著者は大学在学時から約20年間そのアンティークの取引に携わり、現在は帝国プラザホテル東京に店を構えている。
本書はその著者の「”お宝”探して、西へ、東へ」と飛び回る日々の中で出会ったいわくつきのお宝アンティークのエピソードや、本職のディーラーが明かす偽造品の見分け方、逆に優れた品の見極め方を解説する。


美しくロマンチックなアンティークの世界は一方で、贋作、ニセモノ、泥棒の跋扈する世界でもある。
素人がのこのこと出かけるような場所じゃない。
そんな遠い世界を、著者は私たちにぐんと近づけてくれる。
「ストーン・カメオの見極め方」「象牙と骨製品の見極め方」「モザイクの見極め方」「ガレとドームの見極め方」などなど…これらを読むとすぐにでもアンティークマーケットに出かけ、ルーペと懐中電灯(これらは必携とのこと)を持って商品を探してみたくなる。


このような、いわばディーラーとしての奥義を出し惜しみせず、提供してくれる心意気。
それはヨーロッパやアジア、アフリカ、中東など世界各地のマーケットを探索してきた著者の豊富な経験に裏打ちされた自信から生まれるものなのだろう。
イエメンでは空港で厳しい取り調べの上、全品没収の憂き目に遭い(没収された商品はまた同じ店の店頭に並んでいるのだとか)、コートジボワールではシャーマンからトンボ玉を仕入れ、マリではアラリアに倒れ偶然居合わせた日本人夫婦に助けられ、祖父からの手紙に励まされる…。
日本人にも、こんなインディージョーンズみたいな日々を送っている人がいるんだなあ。


著者の開設しているサイトで販売されている商品を見ていると、様々な想像が尽きないのだが、どうせ歴史ある商品を売るのなら、そこに「ものがたり」を付けて売るのはどうだろう、と考えてみる。
売った人のものがたり、買った人のものがたり、作った人のものがたり、使った人のものがたり…。
私のような物好きは、その付加価値にこそ値段をはずんでしまいそうだ。


だって、近頃思うのだ。

「ものがたり」を持つ者の幸福を。

「ごめんね。なにも遺してあげられなくて…」
ううん。
私の子ども時代は母のおかげで豊かだった。
落ちぶれたお嬢様の流転の旅は、私のお気に入りの脳内本の一つだ。
おかげでつらい日々を乗り越えることもできた。
残念ながら、そんな自前の「ものがたり」を持たない私は、せめて1つぐらい、本書で紹介されているようなアンティークに「思い出」を添えて、子どもたちに遺したいと思っているのだが。