「ドキュメント 電王戦 その時、人は何を考えたのか」

電王戦、それはプロ棋士とコンピュータ将棋ソフトとの真剣勝負。将棋に限らず、コンピュータが人間を超える日は近く、必ず来る。本書は「その時」以後を考える上で、外せない1冊だ。



電王戦、それはプロ棋士とコンピュータ将棋ソフトとの真剣勝負。
コンピュータ将棋ソフトというとパソコンに備え付けてある将棋ゲームなどが思い浮かぶかもしれないが、とんでもない。
この電王戦に出場するコンピュータソフトたちはいずれも人間の棋士たちを次々になぎ倒してきた歴戦の戦士たちだ。
なんと第2回電王戦の第5戦に登場したソフト、「GPS将棋」はクラスタ型で667台のコンピュータを連結するという規模なのだ。


実はこの戦いは現在、人間側が苦戦する展開となっている。
第1回電王戦は、当時の将棋協会会長の米長邦雄さんが対戦し、敗戦。
第2回電王戦は、5対5の団体戦となったのだが、結果は1勝3敗1引き分けと、やはりコンピュータの勝利に終わっている。
本書はこの第2回電王戦を、棋士たちやそこに関わった人間たちの視点から多面的に描いている。


将棋協会は文字通り、命運を賭けてこの戦いに挑んでいる。
第1回電王戦で、米長邦雄会長(当時)が病身を押してあえてコンピュータに挑んだのは、「将棋」という伝統競技が置かれている苦しい現実が背景にある(これは彼の著書「われ敗れたり」に詳しい)。
減っていく将棋人口、タイトル戦を後援する新聞社の経営難、将棋界の展望は決して明るいものとは言えない。
その中で、将棋協会はこの異種格闘技とも言えるコンピュータとの戦いを生き残り策の一つと捉えている。
出場する棋士たちが必死でないわけがない。


本書の中で、複数の方が今回の電王戦を格闘技と模するコメントをされていたのだけれど、その戦いはまさに柔道や剣道、いやプロレス、総合格闘技戦、いやリングにかけろキン肉マン…はっ!
不思議ですね、相手は心を持たないコンピュータなのに、彼らの戦いの背後にしっかりドラマが見えてくる。
それはおそらく、棋士の皆さんが決して電王戦を単なる”お祭り”扱いせず、機械だからと言い訳をしたり逃げたりせずに正々堂々と戦っているからだろう。
そして試合後のコメントは、どれも悔しさを滲ませながらも潔く、その一方で強い相手に出会えたワクワク感にあふれている。
今回の戦いで「損した者がいない」と言われる所以だ。


勝負なのだから、人品骨柄も経験の長短も、結局は勝ち負けに収束されることは致し方ない。
その単純さ、純粋さが人を惹きつけるのだから。
私もネットで勝負の行方を追っている間、気になっていたのは勝ち負けだった。
けれど、本書を読んで一番心に残ったのは夢枕獏さんの次のような記述だ。

将棋は論理によるゲームですから、システマティックで、コンピュータでもできるけど、将棋のすごさは、それぞれの人間が、「自分の持っているもの」を搾りだしていく戦いだと実感しました。最後はそれぞれのキャラクターの勝負なんです。

これ以上もう人間では考えられないということまで考えたうえで、せめぎあいの中で、「個性という才能」が次の一手を選ばせている。

盤面に表れる模様は、その人の「持っているもの」で描かれる。
それは、私自身が仕事をしたり、こうして文章を書いて行く上で忘れてはならない諌めの言葉でもあると思っている。


本書は、「ハチワンダイバー」(作者の柴田ヨクサルさんは本書のインタビュアーの1人)、「月下の棋士」、「3月のライオン」でしか将棋を知らない恥ずかしいほどライトなファンの私でも、十分以上に楽しめる。
また、先日開催が発表された第3回電王戦もなかなかキャラの立ったメンバーたちの戦いとなるようだ。
将棋に限らず、コンピュータが人間を超える日は近く、必ず来る。
「その時」以後を考える上で、外せない1冊だと言えるだろう。