「歌に私は泣くだらう 妻・河野裕子 闘病の十年」 永田和宏 著

乳癌で逝った歌人河野裕子の最期の日々を、おなじく歌人であり夫である著者が綴る。苦しみも喜びも歌に詠むしかない歌人の性(さが)。詠まれる歌に遺されたのは、狂おしいほど人を愛する苦しみと喜び。


題名は著者である歌人永田和宏さんが、妻であり同じく歌人である河野裕子さんを思い詠んだ

歌は遺(のこ)り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る   和宏

からの引用である。

ここにある「いつか」とは妻が亡くなったあとの日々のこと。
そう、河野裕子さんは2000年秋に乳癌の診断を受け、2010年8月に闘病の末亡くなった。
著者と妻は互いに歌人である。
この本は、著者が38年間連れ添い、闘病の間も自身の心のうちを歌にするしかない歌人の業に従いつつ、歌に傷つきそして歌に救われるやるせない夫婦の日々を書き綴っている。


愛し合う夫婦にとって片方が病に倒れるというのは、いずれにしても悲惨なさだめであろう。
それはどの夫婦であっても悲劇であることは間違いない。
しかし著者夫婦にとってそれは並大抵の日々ではない。
病の宣告を受けて妻が亡くなるまでの日々は、まさに壮絶としか言いようのないものであった。


突然始まった妻の一方的に夫を責める攻撃的な言葉の奔流。
夫を愛し、家族を愛し、生を愛する妻だからこその果てしない無念と孤独。
「誰も私のしんどさをわかってくれない」「思いやりがない」「あんたのせいで、こうなった」
それは不意に始まり、始まると止むことなく続く。
夫の授賞式の当日までも取り乱し、タクシーの中で罵詈雑言を夫に浴びせかける。
たまらず頬に平手を打つ娘。
そして、病気のせい、薬のせいだと思いつつ、息子や娘も疲弊し、ついに忍耐の限界を超えた夫は椅子を持ち上げテレビに投げつけ、そして息子の肩にすがって大声で泣く。


ああ、でも妻も苦しかったのだ

今ならばまつすぐに言ふ夫ならば庇って欲しかつた医学書閉じて    裕子

文献に癌細胞を読み続け私の癌には触れざり君は  裕子

なんて残酷で、正確な指摘。


修羅の日々。
それでも、後年妻のある歌を見て思ったという。
「すべてを許せる」と。

あの時の壊れたわたしを抱きしめてあなたは泣いた泣くより無くて   裕子


それにしても、夫婦ともに歌を詠まずにいられない業にとらわれているというのは、互いにとってなんと残酷であることか。
初めて検診に行った日、夫はこっそり主治医から受けた癌の知らせによる動揺を隠し、妻と待ち合わせる。
ところが、大丈夫だったと自分に言い聞かせていた、その日の自分の異常を、後日妻の歌によって知らされる無念。

何といふ顔をしてわれを見るものか私はここよ吊り橋ぢやない    裕子

2人が歌人でなければ、このような気持ちも隠して最期を迎えることができたのかも知れない。
それが幸せかどうかはその夫婦にしか分からないことだけれど。


だけど歌がなければ私たちはこのような歌にめぐり合うことはなかった。
夫にこんな歌を遺してくれる妻がどのくらいいるだろう。


手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が    裕子


葛藤を超えて詠んだからこそ、この世に残るのだ。
人を愛すこと、人から愛されることの苦しみと喜びの証が。


歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子闘病の十年

歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子闘病の十年