「6人の容疑者」上・下 ヴィカース・スワループ 著

これは、奇妙ですばらしく、そして最高の人間と最低のやつらがいて、嘘みたいな優しさとけた外れの残酷さを目にする、そんな物語。
 

 
大企業であるラーイ産業グループのオーナーにして、ウッタル・プラデーシュ州の内務大臣の息子であるヴィッキー・ラーイが、自らの開いたパーティー会場で殺害された。
物語はこのヴィッキー・ラーイ殺害事件の容疑者6人の、事件当日まで半年間の日々を描く。
そして最後に明かされる、意外な真犯人。


容疑者の6人は、ガンディーに憑依されたという元官僚やスター女優、携帯電話泥棒、結婚詐欺にあったアメリカ人、少数民族の部族民、そして被害者の父親。
それぞれの半年間はかなりドラマチックな日々で、ともするとドタバタ喜劇風。
子供の頃、吉本新喜劇を見るのが毎週の行事だった私としては、人情とお笑いとそして最後に「泣き」が入るあの黄金パターンに似通うこの流れ、ぴったりツボ、嫌いじゃありません。


前作は映画(「スラムドッグ・ミリオネア」)にもなり、おかげでインドの活気溢れる世界を堪能したつもりだったけれど、本作ではさらに深く、濃厚に、インドの様々な階級にいる人々、死と隣り合わせの危険な現実を描いている。


それにしても、インド。
これほど多くの人種と身分、境遇が混在して、そして曲がりなりにも「国」として成り立っているのがすごい。
格差だって、政治の腐敗具合だって、日本の比じゃない。
まさに混沌。
あまりに多くの人がいるために、たくさんの希望と正義が、時に乱立し時にぶつかり合って時に互いを摩滅しあって互いを滅ぼしてしまう現実。
ああ、息苦しい!
だけど、そこには、私たちの知らない濃密な生と死がある。


ある登場人物はこう言う。


「だが忘れるな。この国は奇妙ですばらしい場所だ。お前はここで、最高にすばらしい人間と出会うかも知れないし、最低なやつらと出会うかもしれない。嘘みたいな優しさを経験するかもしれないし、けた外れの残酷さを目にするかもしれない。一つ言えることは、ここで生き抜くためには考え方を変えなくちゃならんということだ。誰も信用するな。誰も頼るな。自分の力だけでやっていくんだ」
「決めるのはお前だ。どこにいたって、人生はみじめにもなるし、美しくもなる。それはお前が人生で何をつかむかにかかってるんだ・・・」


興奮と熱狂の陰に潜む虚無感。
だけど、みんな命の続く限りは生きていく。
でも、決して、インドで不幸な境遇にある人が不幸だなんて決めつけるつもりはない。
安全で秩序だった日本に住む人が皆、幸福であるとは言えないように。
「どこにいたって、人生はみじめにもなるし、美しくもなる」のだから。


容疑者たちも、善人がいて、悪人がいて。
だけど、善人が幸せになるとは限らないし、悪人に天罰が下るとも限らない。
それでも物語は奇妙にゆがんだ形で、「正義」が実現される。
様々なエピソードが一つに集約されるラストは、広げに広げた混沌が一瞬にして破壊され再生される快感が味わえる。


インドの荒ぶる神シヴァは、たくさんの別名を持つ神で、世界を破壊してから再生を果たすと言う。
インドは神様もとことん、混沌を愛しているのかも知れない。



6人の容疑者 上 (RHブックス・プラス)

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ぼくと1ルピーの神様 (RHブックス・プラス)

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