「墨攻」 酒見賢一 著

諸子百家が活躍する古代中国の戦国時代。墨子創始者として、「非攻論」と「兼愛説」を説き、小国や小城を救援する墨子教団。その1人である革離が単身で挑む、2万の兵を相手に繰り広げる籠城戦。


長年働いていると、玉突き式にいつの間にやら何らかの肩書きがついたりする。
迷惑なことだが、今まで通りの働き方が出来ないということで、否応なく仕事の手法の変更や周囲への目配り手配りを要求される。
自分が試行錯誤のうえ拓き、踏みしめた道を、慣れ親しんだ生き方を、強制的に変更させられるのは、結構つらい。


この本でも作者があとがきで書いていたが、職人にも種類があるそうだ。
「人の頭に立てる職人か、頭にならずとも中堅でゆける職人か、一匹狼にしかなれない職人か」
正直言って、一匹狼が一番性に合う私にとって、肩書きは一挙に仕事をつまらなくする要素でしかなかった。
しかし生活の糧である以上、辞めるわけには行かない。
仕方がないから、いろいろと考えてみたりするのだが、ビジネス書の類が苦手なので、そちらには手が伸びない。
で、結局戦争ものとか軍略ものとかを読んでみる。
いや職場のモチベーションのこと考えるのに、ローマ征服してどうするんだとか、ピラミッド建ててどうすんだ、函谷関を通過するのがどう関係するんだとか、自分に突っ込みつつ、実は楽しい読書であった。


その中の一冊である本作の舞台は中国古代の戦国時代。
諸子百家が活躍するこの時代に、謎の「墨家」という思想集団があった。
謎の、と書いているが、実は当時は一大勢力を築いており、中国各地に隆盛を誇っていた。
ところが秦の時代以降頃から、突然この学派は歴史上から消えてしまう。
現在では71篇のうち53篇のみ残る「墨子」という書物だけがこの学派の思想を伝える遺物となっている。


墨子の思想のうち特徴的なものの1つが「非攻論」だ。
これは自ら相手を攻撃することをしないということで、己を愛するように他人を愛するという墨子の主軸たる思想「兼愛説」に基づくという。
しかし相剋の戦国時代にこれを貫くのはまず無理。
そこで墨家は(屁理屈のようにも思えるが)、守護の技を磨き、小城の守護を担うことに自分たちの力を活かす道を選ぶ。
大国の攻撃に対抗し、何十日間も、時には何年も小さな城を保たせること。
それが墨家の使命だ。
そのため、彼らのその大軍にも負けない堅固な守備は、時には「墨守」と呼ばれたという。


この本の主人公、革離(かくり)は墨家の中でも、筋金入りの戦争職人。
彼は墨家の教組である墨子の思想を是とし、墨子教団に寄せられた梁氏という土着の豪族から城を守って欲しいという要請を受け、たった1人で梁氏の城に赴く。
敵は趙、おそらく梁氏に対して2万の兵を差し向けるとの情報が入っている。
そもそも墨家教団の現在の長である田巨子は、政治的な目論見もあり、この救援の要請に応える気はなかった。
それに対して
「巨子は任をお忘れか」
と指摘し、反対を押し切って梁氏のもとに駆けつけたのだ。
そして革離はこの小城を守り抜くために、外部の敵である趙兵ばかりではなく、獅子身中の虫である内部の敵とも戦いを繰り広げることになる…。


どこかでこれと似ている籠城ものがあったな、と思い出したのは「のぼうの城」。
あれも石田三成の2万の兵に500人の兵で城を守るという話だった。
シチュエーションや攻防戦の面白さは非常に似ているのだけれど、ラストはかなり異なっている。


革離はおそらく自分の志を貫くために城に赴いたのだ。
「任をお忘れか」の「任」とは、墨家の最も尊ぶ「任侠の精神」を表す。
彼は任侠の精神を貫き通すために、墨子教団を政治的な動きに身をもって抗議をするつもりで今回の籠城戦に望んだのだ。
その意味で、革離は最期まで墨子の教えに忠実であり、その道に殉じた。
その生き方は美しい。
しかし、リーダーとしてその生き方はどうなのか。


自分の志と城の人々の命と。
本当に城の人々を救おうと思っていたなら、そもそも単身で乗り込むことはなかっただろうに。
生き方の問題、と言えばそうかも知れないが、卑怯者とそしられることに耐えるよりも自分の志を貫く方が偉業であるとは私には思えないのだ。


彼は今際の際まで自分の策の瑕疵を分析しながら死んでいく。
これを最期まで信じた道に準じる潔さと取るのが、正しい読み方なのかもしれない。
しかし、彼が本当に兼愛説の信者であったば、死の間際に考えるのは城で一緒に籠城している仲間たちの行く末ではなかったろうか。




墨攻 (新潮文庫)

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のぼうの城

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