「ピエタ」 大島真寿美 著

史実を元に、作曲家ヴィヴァルディの死を緒にして、道標を失って途惑う女性たちの物語。音楽と共にある人生の豊かさと、互いを思いやって生きる女性たちのささやかな幸せを芸術の都ヴェネツィアを舞台に描く。


ヴェネツィアの慈善院付属音楽院であるピエタ
史実によるとヴィヴァルディはここで音楽教師を勤め、たくさんの娘たちに音楽を教えてきたという。

この本の登場人物は、ここピエタに関わる女性たち。
ヴィヴァルディの身内や、彼の指導を受け音楽を演奏する娘たち、彼の作った曲を歌う歌姫。
孤児もいれば、貴族の娘もいる。
音楽の才能豊かな娘もいれば、そのような異能に恵まれない娘もいる。
美しい娘もいれば、そうでない娘もいる。
しかしどの娘も、美しい音楽によって結びついている。

彼女たちはある日、遠く離れたパリの地でヴィヴァルディが亡くなったことを知らされる。
それぞれの心に去来するヴィヴァルディの思い出。
そして1人の娘エミーリアが、行方の分からなくなった楽譜を探すため、ヴィヴァルディ所縁の女性たちを訪ね始める…。

人は自分の見える面からしか人を「知る」ことは出来ない。
師としてのヴィヴァルディ、兄としてのヴィヴァルディ、恋人としてのヴィヴァルディ、友としてのヴィヴァルディ…。
彼女たちの語りから浮かび上がるヴィヴァルディはまるで複数の男性のように、多彩な顔を見せる。

芥川龍之介の「藪の中」でも、ある事件について、語る人の数だけ物語があった。
複数の人がある人について語る時も、また同じことが起こる。
彼女たちの物語は決して嘘ではないが、また真実とも限らない。
彼女たちはそれぞれ、自分が見える角度、見たい面からからしかヴィヴァルディを見ていなかったのだから。

そして、四十路を越えるエミーリアの問いかけはやがて、自分自身に、その来し方に移って行く。
私のあの時の選択は正しかったのだろうか?
それとも、間違っていたのだろうか?
誰もが1度は想起する切ない問いかけ。
むすめたちは皆、人生の秋に道標を失い、戸惑いの中にある。
自分たちが柔らかい繭の中で守られて暮らしていたことを自覚し、そしてこれから荒波の中に放り出されることを予感しながら。

そんな娘たちに、ヴィヴァルディの作った歌が聞こえてくる。

「むすめたち、よりよく生きよ。」

彼女たちに与えられたこたえ。

ヴィヴァルディはどんな人間だったのか。
それは誰にも分からないし、定義もできない。
だけど、彼の作った美しい音楽は、こたえと共に祝福を与える。

「よろこびはここにある。」

魔法のように美しいヴェネツィアの情景と、音楽と共に生きる女性たちのささやかな幸せと、互いを思う優しさとせつなさに満ちた作品。


ピエタ

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