「フェルメール 光の王国」 福岡伸一 著

フェルメールの作品が所蔵されている美術館に実際におもむいてフェルメールの作品を鑑賞する」をコンセプトに世界各地を巡る贅沢な美術紀行。生物学者ならではの斬新な視点から、フェルメールの謎に迫る。
 



この本は、ベストセラー「生物と無生物のあいだ」の著者である生物学者福岡伸一氏が、ANAの機内誌である「翼の王国」に4年をかけて連載をした美術紀行文のまとめである。
 
連載のコンセプトは 「“フェルメールの作品が所蔵されている美術館に実際におもむいてフェルメールの作品を鑑賞する”」こと。  
 
世界各地の美術館のフェルメール作品を、福岡氏独自の視点から解説、そしてフェルメールが提示している(と、氏が考えている)謎を読み解く。
情報の少ないフェルメールの交友関係など、謎解きの要素も絡めたサスペンスフルな本だ。        
 
不定期の連載をまとめたためか、時折、違う国、違う季節で突然新しい章が始まるため、唐突な印象を受けることは否めない。
だが実は、一章一章は、フェルメール、その人とその作品への愛情という一つの紐帯で繋がっている。
そして、この構成のせいか、私は途中、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を思い出した。
それほどに、福岡氏のフェルメールを巡る4年間の旅は一つ一つ印象的で、その歩みはプロムナードのように優雅で緩やかだった。
 
以前からこの本のことは気になっていたものの、購入するのに二の足を踏んでいたのは、ネット上でちらりと見てしまった書評欄での評価が、割れていたから。  
でもこの本を読んで、評価欄を見て、改めて分かったのは、みんなフェルメールが好きなのだということ。                 
だから、思うんだろう。  
私の大好きなフェルメールを勝手な解釈で語るんじゃない!と。
多くの人が、フェルメールに関する論評に対してはムキになってしまうようだ。
邪馬台国のありかについて熱く討論する人たちを思い出す。
 
確かに、福岡氏のフェルメール解釈は独特で、彼しか持ち得ない観点から観察される。  
 
エッシャー野口英世エヴァリスト・ガロアライアル・ワトソン、ルドルフ・シェーンハイマー、アントニ・ファン・レーウェンフック…
生物学者である福岡氏は、フェルメールをいっけん無関係に思えるような人物と絡めて語る。
それがこじつけだと感じる人もいるだろうが、私は、自分の身近にはいない生物学者の方ならではの発想、斬新な観点を愉しむことができ、その解釈にも新鮮な感動を覚えた。  
 
そして「生物と無生物のあいだ」でも魅力的だった福岡氏の独特な言葉使いは、本作でも健在。
 
「光のつぶだち」 
動的平衡」  
「振る舞いの統合」
「溶かされた界面」
 
これらの言葉は、私の頭の中をかき回し、思いもかけない連想とイメージを呼び起こしてくれた。  
 
結局、人は誰しも絵の前に立つ時、その人の生まれながらに授かった魂と、生きてきた来し方から身についた考え方や感性で向き合うしかないのだ。
私たちは、他の誰とも違う。
だから、本来ならその感動を他人と分かち合うことは困難なはず。
だけど時や場所、文化を超えて、時に同じ絵や本に対する他人の感動に共感を覚えるのは、私たちがなにがしかの共通点を魂に刻まれて生まれてきたのか、 同じ幻想の中に生きているのか…。
私には、相違点より共通点が愛おしい。 
 
現在、世界中で確認されるフェルメールの作品は30数点。
この本では、盗難、個人蔵を理由に2点が取り上げられなかった。
その2作品を福岡氏がどのように評するのか、いつか、読んで見たい。

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)