「紅茶スパイ」 サラ・ローズ著

プラントハンター。それは「高度に訓練された鋭い観察力の持ち主で、故郷や家族を顧みず、植物発見の魔力にとりつかれてしまった男たち」のこと。凄腕ハンター、ロバート・フォーチュンが盗み出した国家機密とは?


プラントハンター。
それは「高度に訓練された鋭い観察力の持ち主で、故郷や家族を顧みず、植物発見の魔力にとりつかれてしまった男たち」のこと。
私たちが現在、気軽に楽しんでいる紅茶、これを世界中に広めるきっかけを作った凄腕のプラントハンター、それが本書の主人公、ロバート・フォーチュンだ。
 
彼は1812年スコットランドの農家に生まれた。
彼が園芸家としてのキャリアをスタートしたのは、雇われ農場労働者だった父から教わった庭仕事から。
やがて植物に対するセンスと持ち前の要領の良さで、植物園などでキャリアを積み上げ、園芸家として認められていく。
しかし、有閑階級(ジェントルマン)出身ではない彼は高等教育は受けておらず、当時の植物学者が当然持っている医師の資格は得ていなかった。
イギリス園芸協会はそんな彼の出自の低さにつけこみ、格安の年棒で中国行きを持ちかけ、一方、彼は東洋の珍しい植物や貴重品をイギリスに持ち帰ることで植物学者としての出世や名声を得る夢を抱いた。
プラントハンター、ロバート・フォーチュンはこうして誕生したのだ。

プラントハンターとして中国に派遣される彼の任務は、中国がひた隠しにしてきた茶の種や苗を手に入れ、茶の製法を探ること。
そして、あわよくば製茶職人をインドに連れて行くこと。

これにはイギリスの植民地経営事情が深く関わっている。
当時、彼の生国であるイギリスは産業革命の繁栄のただ中にあり、人々は植民地からもたらされた珍しい動物や植物、食物に魅了されている。
中でも、そう、紅茶に。 
その頃、上流階級の嗜みであった茶の習慣が庶民の間にも広がり、茶の輸入税と販売税はイギリス政府の財源のほぼ1割を占めていた。
イギリス人にとって茶は生活必需品と言っても良く、その熱が高じた結果、既に三角貿易を巡り軋轢が生じていた茶葉の輸出国である中国との間で1839年アヘン戦争が勃発する。
そして、イギリスは生活必需品である茶を政情不安定な中国以外の植民地国で、つまりインドで栽培し、安定供給することを画策したのだ。

東インド会社から資金提供を受け、一大国家プロジェクトでもあるフォーチュンの紅茶スパイ活動。
外国人が茶葉の産地である中国奥地で見つかれば命をも奪われる可能性がある。
まさに命を賭けての任務だった。

そんな危険な潜入活動にあたり、フォーチュンは前髪を剃って辮髪をつけたり、特注の上級官僚の着る絹の衣装を身につけたり…。
本人は「私が外国人であることは分かるまい」と悦に入っている。
真剣なのだと思うのだが、どこか滑稽でユーモアを感じる。
また、同行する中国人従者たちも曲者ぞろい。
1度目の潜入の目的地は茶の産地である松蘿山。
同行する中国人従者は2人。
1人は松蘿山出身で、目端がきいて頭の回転も早いのだが、計算高く、金銭を巡って他人とのトラブルが絶えない男。
1人は力持ちなのだが、大事な時に主人の秘密をなぜかばらしてしまう間抜けな男。
この2人のおかげでフォーチュンは何度も危険な目に遭い、命からがら茶の種と苗を手に帰途につく。
2度目の目的地は、最高級の烏龍茶の産地である伝説の武夷山脈。
今度の中国人従者は1人。
この従者は、北京の皇帝一家に連なる博識で恰幅のいい男なのだが…やはり金儲けに目がなく、私利私欲でフォーチュンをピンチに陥れるのだ。
果たして、フォーチュンの任務の行方は?!

…もちろん、フォーチュンの任務が成功したからこそ、世界中に茶の楽しみが広がり、私たちは安価で紅茶を楽しめているわけだが。
結果を知っている我々と違い、当時のフォーチュンにとっては中国奥地は未知の領域であり、全土はアヘン戦争の余熱も冷めやらず、太平天国の乱もフォーチュンの行程を横切っていたという。
それでも彼は、最後まで投げ出すことなく、黙々と任務をこなす。
相応しい人が相応しい任務を得て使命を果たす、その過程を描く本書はとてもわかりやすい読み物となっている。

一方で、彼に国家機密を盗まれた中国は、その後、内憂外患に悩まされ倒されて行く。
そして、東インド会社の栄華も長くは続かない。
プラントハンターも所詮、先進国の利益追求の走狗でしかない。
それは分かっているのだけれど、フォーチュンが、旅が進むにつれ中国の自然の美しさに脱帽し、どうしようもない従者に同情を覚え、インドでは製茶職人たちの行く末を心配し別れを惜しむようになる、そんな彼の変遷を見ていると、プラントハンターはただの「スパイ」ではなく、「文化の伝播者」としての役割も果たしていると考えたくなるのだ。

彼の仕事の成果であるダージリンティーを飲みながら、是非、ご一読を。



紅茶スパイ―英国人プラントハンター中国をゆく

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