「サラの鍵」 タチアナ・ド・ロネ著

「あとでもどってきて、出してあげる。絶対に」。少女はすぐに戻って来ることができると信じて弟を納戸に閉じ込め、そして収容所に連行された。60年後に開けられたパンドラの箱に隠されていた真実とは…。


東日本大震災の起こった時、私は何かに取り憑かれたように一日中、TVとインターネットにかじり付いていた。
知りたかった。
それがどんな残酷な現実であっても、どんな悲劇であっても。
なにが起こっているのか、自然が人間にどのような仕打ちをしたのか、知りたくて知りたくてたまらなかった。
そして、やがて明らかになって行く人間が人間にする残酷な仕打ちも。
しかし1週間も経った頃、自分のその「知りたさ」にぞっとしてインターネットを開くことを止めた。
そこにいる生身の人間を私は見ていない気がして。 
それでも「知りたい」という気持ちは、時折、私を捕らえて離さない。
 

この本の主人公はジュリア。
45歳のアメリカ人ジャーナリストだが、25年前にフランスに移住。
夫と娘とともにフランスで暮らし、フランスを、パリを愛している。
しかし彼女は、60年前にフランスで起こったある「事件」を知ったことにより、周囲の制止もきかず、「知りたい」という衝動に従って行動してしまう。

その「事件」とはー
1942年7月16日、ナチス占領下のパリでユダヤ人13000人以上が連行され、その後そのほとんどがアウシュヴィッツに送られた”ヴェルディヴ”一斉検挙。
この事件があえて公に語られなかった理由は、それを行ったのが、当時のフランスの親ナチス政府であり、フランス警察だったため。
国家の恥を誰も言及したがらない。
しかし、やがてジュリアは、その「事件」が単なる過去の出来事というだけでなく、自分たち家族の事件でもあることに気づいていく。
そして事件について調べることが家族の運命も変えてしまうことになる…。


ジュリアは”ヴェルディヴ”について調べるうちに、ある人にこう忠告される。

「あなたはパンドラの箱をいじくっているんだ。この世には、その蓋を開けない方がいい場合もあるからね。真実を知らないほうがいいこともあるんだし」

しかし、ジュリア非難する者、目を瞑って真実を見ないふりをしていた者も、実は決して忘れることはできないでいる。
たった1つの真鍮の鍵を手に、収容所を脱出してきた少女のことを。

その鍵は、強制連行されようとした少女が、納戸に隠れた幼い弟を守るためにかけた鍵。
少女はすぐに戻って来ることができると信じて弟をそこに閉じ込めた。
「あとでもどってきて、出してあげる。絶対に」

そして、その約束が、彼女を救う役割も果たした。
その鍵を持って弟の元に行くためにこそ、彼女は絶望することはなかった。
そのために彼女は、目前に迫った死から逃れることができたのだ。

何人もの大人の目を少女は見つめる。
お別れも言えずに引き離された父母。
母親から引き離され泣き叫ぶ子供達に、水を浴びせかけるフランスの警察官達。
いつも優しくしてくれたのに、少女を連行し監視する近所の若い警察官。
危険を顧みず、少女を匿い、その帰路に同行する老夫婦。
少女の住んでいた部屋に移り住んだ家族。

関わった者、知ってしまった者が誰一人幸せになれない。
ジュリアの調査は周りの人々に波紋を広げ、夫婦関係、人間関係をも大きく変えてしまう結果になる。
まさにパンドラの箱を開けてしまったのだ。

だけど、パンドラの箱の底に残っていたのは「希望」。
ラストシーンは、つらい記憶を背負って大人になる哀しみと責任、争いの絶えないこの世界に生まれて来る子供たちの尊さやかけがえのなさを描き、ひときわ美しい。


サラの最後の言葉。
「ザホール。アル・ティシカハ。」
覚えていて。決して忘れないで。

ジュリアの「知りたい」という気持ちから明らかになった真実は、生きている人に使命を与える。


結局、「知りたい」という気持ち自体は重要なのではないのだ。
重要なのは、知った上でどのように行動するのかということなのだ。


サラの鍵 (新潮クレスト・ブックス)

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