「英国メイド マーガレットの回想」 マーガレット・パウエル著

メイドが本を読むなんて!と言われた1920年代の英国。労働者階級に生まれ、最下層のキッチンメイドとして働き、様々な義務や制約の中で精一杯を生きている主人公の生き方の美しさ、潔さに一気読み間違いなし!


以前、車で山あいの峠を抜けた。
谷間に数軒の集落。
どこに行こうにもあれでは車が必須だろう。
険しい峠道は車では30分ほどで隣の集落に抜けるが、現在のように整った車道がない時代は、歩いて行くには1日がかりだったかもしれない。
隣の集落に行くということすらなく、もしかしたら一生、この谷間で暮らした人もいたかも知れない。
江戸時代から明治時代になり、大正へ…時代の趨勢すらあまり意識しないまま。  
日本以外の外国を一生見ることもなく外国の人に会う事もなく。  
そんな一生がここにあったかも知れない。


ため息をつきつつ、だけど、羨ましくもある。     
あぁもしかしたら、そのように生まれつくというのは不幸ではないかも知れない。 
神様と呼ばれる存在がもしいるなら、その存在から与えられた場所が狭いければ狭いほど、むしろその方が自分と世界の関係はシンプルで、迷いなく、潔く生きられるのではないか。
羨ましいかも。


だけど…知ってしまったら?
外の世界があり、そこは自分の住んでいる所より豊かで、きれいなモノであふれていて、快適な住環境があると、知ってしまったら?
それでも、その谷間に住む人は、心迷うことなく、幸せに過ごせるのだろうか?


この本を読んで、思い出したのは、その疑問だ。


この本は1907年に生まれた女性が、自分が家事労働者であるキッチンメイド、料理人として過ごした体験を、率直な筆致で、しかも生き生きと書き記している
その中では、人は一つ屋根の下で、階上と階下できっぱりと世界が分かれ、それぞれが互いに相手に依存しつつ、軽蔑しつつ、決して交わらない。 
ここではシンプルに生きようと思えば簡単で、それぞれの世界を侵すことなく、ルールに従っていればよい。
このシステムに甘んじてしまえばよいのだ。


だけど、気づいてしまったら?
社会の不公平さや矛盾に。
その時、人はどうする?
ねたみ、うらやましさに自分の運命を呪う?
不公平さを正すために戦う?
階上の世界があることをアタマから締め出し、知らん顔で生きる?


この作品の主人公は、階上の生活の快適さや贅沢さを知りつつ、決してそれに自分の生き方を左右されない力を持っている。
羨んだのは階上の同年代の少女を見た時だけだと告白するが、だからと言って、それで自分を損ねない。
まずそこに参ってしまった。
料理の腕も半人前のまま、新しい勤め先に面接に行き、料理本を見ながら毎日を凌ぐ。
また決して美人ではない自分を弁えつつ、ステキな男性を捕まえるべく、作戦を練る。
幼い頃、奨学金をもらえるほどの成績をとりながら、生活のために進学を諦めたことが忘れられず、子育てが一段落したあと勉強を再開、大学入学資格を得、本を著するまでになる。
その逞しさ。
それは彼女の徹底したリアリズムと人生に対する少し辛口の姿勢からくるもののように思う。


「分を弁える」、「分相応」という言葉は好きではなかった。
それは、自分の努力では選べない環境を、与えられた運命を甘受するという意味だと思っていたから。
けれどそれは、神様が「あなたに与える、世界の『この部分』を幸せにしなさい」の「分」を弁えるという意味ではないか。

そして、その『分』を知る賢さを、私も持ちたいと強烈に思う。

英国メイド マーガレットの回想

英国メイド マーガレットの回想