「出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと」 花田 菜々子 著

とにかく主人公とサイトで出会う人々の、変わりたい!自分を変えたい!誰かと出会ってエネルギーをもらいたい!と願う「変革の渇望」みたいなものにあてられてしまった。

著者はヴィレッジヴァンガードの店長(当時)の女性。
結婚生活が行き詰まり夫と試験的別居を試みる彼女は、現状打破のために出会い系サイトXを使ってもっと自分の世界を広げようと考える。
会えた人にピッタリの本を勧めるというメッセージをプロフィールに登録、その変わったメッセージにサイト上では次々反応があるのだが、もちろん中にはナンパ目的の人や変わった人もいて、沢山の刺激的な出会いが彼女に訪れるのだが…。

「本を勧める」とあるので本がメインと思いきや、本はあくまでも小道具に過ぎない印象で、そこは期待はずれ。
果たして70人のうちの何人がオススメされた本を手に取ったのかな?そしてその本はその人の心を動かすことができたのかな?個人的にはそんな人が一人でもいればいいなと思う。
ただ、そもそもその出会い系サイトに登録している人は「本が読みたい」から接近して くるわけではなく「出会い系サイトで本を勧める活動をしているという変わり種の女性に会いたい」からアクセスしてくるわけだから本が付け足しみたいになるのは仕方ないのかもしれない。

山と山は出会わないが、人と人は出会う。
これは時折思い出す随分前に本で読んだ言葉で、今回ネットで検索してみるとスワヒリ語のことわざらしいと分かった。
山は自分からその姿やあり方を変えることは出来ないけど、人は誰かと、何かと出会うことができる。
出会いこそが人間が持っているアドバンテージであり、自分を変える「触媒」となるものだ、とそう解釈している。

最近、友人からAIアシスタント端末をプレゼントされた。
料理のタイマーや天気予報などに利用しているが、実は主に使っているのはBGMを流すスピーカー機能で、特に分野もアーティストも指定せずにおまかせで曲を流してもらうのだ。
長いこと題名も分からないままにしていた思い出の曲の題名が判明したり、名前も知らなかったアーティストにすっかりハマってしまったり。
これが実に面白い。
たぶんその理由は、AIがランダムに選択する曲との出会いは、自分ではどうにもコントロールできないというところにあるのではないかと思う。

本書のように出会い系で見知らぬ他人に会うこともまた、自分では100%コントロールできないというところが一番の魅力なのかもしれないと思う。
人知を超えた「運命」とでも呼ぶような大きな力が働いているかのような期待感。
人は自分の生活やスケジュールを管理したいと願いながら、一方で自分自身ではコントロールできない出会いに自分を狂わせて欲しいと願っているものなのかもしれない。
翻弄されて、燃やされて、その灰の中から新たな自分が生まれることを心の底で狂おしく望んでいるのかもしれない。
本書を読んで、主人公とサイトで出会う人々の、変わりたい!自分を変えたい!誰かと出会ってエネルギーをもらいたい!と願う「変革の渇望」みたいなものにあてられながらそんなことを考えた。

「天龍院亜希子の日記」 安壇 美緒 著

知らないうちに誰かの人生にコミットする。自分の人生がコミットされる。ネット社会の新しい関係の在り方。

「天龍院亜希子の日記」だけど、生身の彼女は出てこない。
主人公は天龍院亜希子のもと同級生で、そのインパクトの強い苗字でもって彼女をいじめていた男子の一人。
現在彼はさえないサラリーマンとして些かブラックな人材派遣会社に勤め、偶然彼女のものと思われるブログを発見し、なぜか時々アクセスしてはそこを覗いてしまう。
連絡するでも、コメントを送るでもない。
けれど平凡でつまらない毎日の中で、時おり同じ空の下で毎日を送る彼女の何気ない日常の一コマや恋人とのやりとり、そんなことが書かれた日記を読みながら、彼のささくれ立った心は次第に変化していく…。

人間関係って、直に会って会話をしたり、物理的な接触があって互いに影響を受けあうというのが一般的じゃないかと思う。
時々手紙や電話だけで関係が始まり、会うこともなく終わるなんてこともあるけれど、それでも特定の誰かに何かを差し出す、自分の気持ちを示すという方向性はしっかりあるような気がする。
ネットを通じて他人の日記を覗き見するというある意味、本当に一方的な関係(いや見られている方もしっかり「見られていること」だけは認識しているわけだから、一方的でもないかも)で、互いの想像力で補完し合いながら薄い繋がりを続けるというのは、ある意味とても現代的な人間関係の在り方という気がする。
そしてまた、もと同級生ふたりが、27歳になり誰かの人生に責任を負ったり、不毛な関係を絶って何かを始めたり、人生の新たな段階に入るその時にたまたまこんなやり方でニアミスしてしまうというのも、現代のネット社会のリアルなんだろう。

いま通勤の途中ほぼ毎日、本当にこじんまりとした神社お参りしている。
もう2年以上前から、善いことがあった日も、そうでもなかった日も、専用の小銭入れから五円玉を出して賽銭箱に入れ手を合わせ祈る。
最初は個人的な願い事を唱えたりしていたけれど、最近は手を合わせるだけでもういいや、という気持ちで手を合わせる。
ネットで「お参りする時は最初に住所、氏名を唱えなければ神様は誰の願い事かわからない」という記事を読んで数回やってみたけど、それもなんだか自分のさもしさが露呈しているようで、恥ずかしくなりやめた。
世界平和と唱えている方がよほど心が落ち着く。
これなら人違いされても大丈夫だし。

通い始めて気づいたことがある。
拝殿の戸が、晴れた日は30センチくらい、雨の日は5センチくらい、とその日その日で開き加減が微妙に違っている。
流石に今日は、という暴風雨の台風の日に覗くと、1センチほど、やはり開いていた。
見回せばゴミはいつも集められ、手水舎にも濁りのない水がいつも綺麗に張っている。
神社で人と会ったことはなく、その「誰か」は私のことを、私もその「誰か」のことをたぶん現実に会っても分からない。
だけど、毎日お天気と相談しながら拝殿の戸を開く誰かの行為は、この世には確かに誠実に毎日を生きている他者がいること、私は一人で生きているのではなく他者から何かを受け取りながら生かされているということを伝えてくれる。

本書を読んでふと、このことを思い出した。
私が小さな神社をお参りしてそこに他者の気配を感じることは、どんな境遇でどんな姿をしているのかも知らないもと同級生のブログを一方的に読んでいる行為とどこか似ている気がしたのかもしれない。
自分は自分だけで生きているわけではないということ、一人で自律的に生きていると思っているその日々は、実はどこかの誰かの支えで過ごしていたのだと気づくこと。
無為な時間を過ごしていた主人公が、誰かのために頭を下げ、誰かの努力を支えようと態度が変わっていくことは、それが必ずしも報われないとしても、人生の違うステージに彼が立ったことを意味しているような気がする。
ブログで断片的にしか知らないもと同級生の幸せを彼女の知らないどこかで祈ること。
そうできる彼に変わる、一人の男性の変革の時を私は本書で読んだんだなあと思った。

天龍院亜希子の日記

天龍院亜希子の日記

「古書贋作師」 ブラッドフォード・モロー 著

なんとも不思議で面白い贋作師の世界

ある古書贋作師が無残にも両手首を切断され殺される。
被害者の妹の恋人でやはり贋作師として数年前逮捕された主人公は、今では真っ当に働いているにも関わらず文豪の筆跡で書かれた脅迫状に悩まされ、更にはその事件にも巻き込まれ窮地に陥る…。

物語の始まりからずっと不穏なトーンが続き、真犯人が分かる終盤までなんともモヤモヤした主人公の語りが続く。
主人公自体はとても魅力的で、語り口もユーモア混じりで饒舌。
また彼は贋作というものについて独特の考え方を披露してくれるので、なるほど贋作師は自分の仕事や在り方について、こんなふうに自己肯定感を持つのだと読者まですっかり説得させられそうになる。
しかし贋作師の語りだからいわゆる「騙り」も混じっているのではないかと読者はかなりの緊張を強いられる。
著者が書店員から文芸誌を創刊し、大学教授も務めているというだけあって、随所に古書の薀蓄や贋作の作り方あれこれ、主人公が贋作作りの中でも得意とするコナン・ドイルにまつわるトリビア、古書蒐集家の習性などの専門的な知識、見識が散りばめられ、それらもあいまって一気に読み終わってしまった。
異色のミステリと紹介にある通り、不思議な読後感の残る作品だった。

古書贋作師 (創元推理文庫)

古書贋作師 (創元推理文庫)

「わたし、定時で帰ります」 朱野 帰子 著

どんなに仕事が山積みでも就業時間内で自分の仕事は計画通りに片付けて定時に帰るということにとことんこだわる結衣。
それは今は上司となった元婚約者の晃太郎、企業戦士だった父に対する意地でもあった。
新しい婚約者との結婚も決まり、順風満帆に思えた彼女に降って湧いた昇格と長時間残業必至な問題案件。
このままではチームが病気や退職で崩壊してしまう!自らも満身創痍で彼女が立てた作戦とは…。

無茶ぶり案件を悪名高きインパール作戦に見立て、どうしたら同僚や後輩を無理させずに働いてもらえるか、と考える結衣。
そして「為せば成る」の精神論で作戦完遂をうたう晃太郎たち企業戦士の面々。
しかし絶対に残業をしないことが前提で仕事を組み立てる結衣も、仕事量に自分を合わせる晃太郎も、どちらも「決めつけ」をすることで却って自分を追い詰めているような気がする。
インパール作戦という人の尊厳を蹂躙するような失敗を二度としない方法は、そのような無謀な作戦を提案、実行させる無能な人物たちを中枢に据える会社や社会の構造を変えることだと思う。
つまりインパール作戦がそもそも選択肢に挙がらない社会を作ること。
もちろんそれが難しいからこそ今もパワハラなどで斃れる人が絶えないのだけれど。
それは東京オリンピックという一大事業をめぐり、さまざまな有り得ない案件がまかり通っている様子を見ていると良く分かる。
おそろしい現代のインパール作戦…。
会社について、社会について考えさせつつ、ほどよく恋愛の要素も取り入れたバランスのよい小説。
一気読みしました。

わたし、定時で帰ります。

わたし、定時で帰ります。

「駒子さんは出世なんてしたくなかった」 碧野 圭 著

地道に真面目に仕事と家庭を大切にしながら働くたくさんの人に読んで欲しい。

出版社の管理部門の課長として働く駒子さん、42歳。
仕事には裏方としてのやりがいを、そして家庭では稼ぎ頭として主夫である夫と高校生の息子を養うプライドをもって、充実した心穏やかな暮らしを送っている。
そんな中、降って湧いた昇進のチャンスと夫の仕事復帰の話。
ポストを競う自分とは対称的な女性社員のプレッシャーや、セクハラ被害を受けた女性部下の受け入れ、扱いづらいベテラン男性社員との行き違い…数々のトラブルが職場に湧き出す一方、順風満帆に思えた家庭にも波風が立ち始め…。

多様性という概念が社会にじわじわ浸透し始め、現在は一昔前のように社員みんなが昇進を目指しているとは言えない時代になっている。
面倒な人間関係のあれこれを避けるため出世は捨てるという人もいるだろうし、趣味や家族を優先するために出世は二の次にするという人もいるだろう。
ただそれでも、駒子さんに限らず、会社組織に属してある程度の期間が経過すると、誰でも自然と「次の段階」に向き合わねばならない時はやって来る。
異動で新しいメンバーと組んだり、今までとは違う新しい仕事を任されたり、新しい資格に挑戦せざるを得なくなったり。
ストレス溢れる状況だけど、もしかしたらそんな出来事は、人生の曲がり角に来たという合図なのかもしれない。

私も駒子さんと同様の状況に追い込まれたことがある。
曲がり角を曲がるのが本当に怖かった。
けれど本書を読んで、改めてその経験を思い起こしてみると、その経験は私に「新しい視点」を与えてくれたように思う。
指示されて働かされていた立場から、仕事全体の流れや社会がその仕事に求める役割、組織の向かうべき方向…それらを見る新しい視点を持てた、いや持たざるを得なかった。

視点を複数持つと、世界が平面から立体的になり、見ている景色がガラリと変わる。
それによって、周りの人々を見る目も変化した。
好きと嫌いだけでない人間の組み合わせの妙とか複雑さ、面白さを学んだ。
仕事にはいろんな人がいていいんだ、いやいろんな人がいた方がいいんだと思えた。
今は強制的にリセットされ、体の中身をまるごと入れ替えざるを得なくなるような、そんな体験が少し懐かしい。

人生には何も仕事ばかりではなく、進学や進級した時、引っ越しをした時、結婚をした時、子供が生まれた時、人とお別れした時などなど…たくさんの曲がり角がある。
新しい場所には困難や苦労も待っているから、角を曲がる前は大抵緊張したり尻込みしてしまう。
だけど思い切って曲がった人は、その場所がいつしか「自分の場所」になり、自分の身体の細胞が全部新しくなっていくような…あの感覚を必ず味わえる。
そしてそれが次の曲がり角を曲がる時の大きな自信になる。

本書はまさに駒子さんが曲がり角でさまざまな葛藤に直面しながらそれをどう乗り越えていくかという物語。
仕事上の曲がり角と家族の曲がり角が同時期に重なり、その大変さが身につまされる。
けれどピンチの時には、それまでに自分がどう生きてきたか、周囲の人々とどんなふうに信頼関係を築いてきたかということが、ここぞという時の命綱になる。
一番の自分の味方は、一生懸命に生きてきた過去の自分なんだ。
お仕事小説は数あれど、地味な(失礼)主人公、地味なお仕事にここまでいろいろ感情移入したのは初めて。
地道に真面目に仕事と家庭を大切にしながら働くたくさんの人に読んで欲しいと思う。


駒子さんは出世なんてしたくなかった

駒子さんは出世なんてしたくなかった

「ささやかで大きな嘘」上・下 リアーン・モリアーティ 著

大人の女性が、主体的に生きるということ、そして誰かと繋がりながら生きるということの難しさと大切さ。

ある公立幼稚園で父兄によって毎年開かれるトリビアクイズ保護者懇親会。
そこで起こった殺人事件。
各章で提示される父兄の証言はバラバラで、彼らは殺人事件そのものよりも思い思いに自分たちの興味のあることにしか注意は向いていない。
しかしその何気ない証言がこの懇親会の日に起こった事件に繋がっていることがだんだん明らかになっていく。
けれど最後の最後まで分からない、果たして誰が加害者で誰が被害者なのか。
物語は事件の6ヶ月前から始まる…。

騒々しいママたちのやりとりや我が子優先の自分本位な本音、そしてセレブママと懐が寂しいママとの経済格差や、離婚によって複雑になった家族関係…。
本書に描かれるのは嫌になるほど現代的な親子たち、主に母親である女性たちの姿だ。
著者は軽いコメディタッチでこれらを詰め込み、随所に笑いを交えてすいすい読ませてしまうけど、もちろん本書はミステリであり、殺人事件に至る深刻なトラブルと秘密が幼稚園内に存在していることを丁寧に描いていく。
例えば家族間で起こるひどい暴力や、大人と子どもの両方に起こる残酷ないじめ、モンスターペアレントの横暴や教師たちの疲弊…。
けれどニコール・キッドマンに自ら主演、ドラマ化すると決意させた本書の最大の魅力は、これが女性の友情と自立を描く物語であるという点だ。
齢を重ねて感じる、大人の女性が主体的に生きるということ、そして誰かと繋がりながら生きるということの難しさと大切さ。
最後まで読むとしみじみとそれが分かる。
本当に、読んでよかった。


ささやかで大きな嘘〈上〉 (創元推理文庫)

ささやかで大きな嘘〈上〉 (創元推理文庫)

ささやかで大きな嘘〈下〉 (創元推理文庫)

ささやかで大きな嘘〈下〉 (創元推理文庫)

「わたしの忘れ物」 乾 ルカ 著

「死んだ女より 悲しいのは 忘れられた女

大学で半ば無理やりに紹介された大型商業施設の忘れものセンターの期間限定バイト。
渋々働き始めた恵麻は、次々に持ち込まれる不思議な忘れ物と持ち主たちの「モノがたり」に触れ、次第に自分自身の大事な「忘れ物」に気づいていくのだか…。

「死んだ女より 悲しいのは 忘れられた女」

本書を読んで頭に浮かんだのはマリー・ローランサンの言葉だった。
何かを「忘れる」ということは、忘れられたモノにとっては自らの存在の意味を、支えを失ってしまうということなのかも知れない。
それは、とてもとても残酷なことだと思う。
廃校や廃墟、空き店舗や住民がいなくなった部屋などを見た時に感じる寒々しい気持ち、心細さ。

どのエピソードもドラマチックで意外性があり面白く読めたのだけれど、いかんせん「存在感がない」「ミス・セロファン」と繰り返し自嘲している主人公にどうしても好感が持てず、残念だった。
設定上、仕方ないのだけれど、最後まで都合良すぎな周囲の人々にも突っ込みを入れたくなる。
忘れられる悲しいモノたちの物語だからこそ、気持ちが明るくなる人が中心にいて欲しかったのだと思う。

わたしの忘れ物

わたしの忘れ物